【2011年8月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク

2011.9.17|サポートメンバーの活動ご紹介

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現地支援活動報告

第2回目の活動として8月22日から足掛け7日間、全行程2,715kmを走りボランティア活動を行ってきました。

今回の拠点は、岩手県花巻市東和町にある旧成島小学校跡地に設置された「NPO法人ジッポウ」が運営する「東和ボランティアの家」を拠点とし、岩手県大槌町と、宮城県気仙沼市において活動をしてきました。

前回の活動では、支援物資の輸送、瓦礫の撤去作業、食事の炊き出し、遺体安置所と仮土葬場での読経を行いましたが、今回は第3回支援活動の打合せと、現地の社会福祉協議会が募集するボランティア活動に参加してきました。

当初予定では仮設住宅への入居のための日用品・生活用品をセット詰にしてお渡しする計画でしたが、現地での需要が思うより少ないとの情報から、急遽上記計画に変更いたしました。

以下ボランティアの活動報告書抜粋

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このたびは京都教区寺族青年会有志による第2回目の被災地支援活動に際し、心温まる支援金等のご提供を賜り、心から御礼申しあげます お陰様で今回も全員無事に活動を終え、予定通り帰京することができました。

●以下はメンバーがどのような活動を行ったのかを記述いたします。

第1日目(22日)

< 午後9時に本願寺聞法会館に今回初日より参加するメンバー4人(北條・中原・玉井・北條jr) が集合し、出発前のミーティング後、午後9時30分に出発しました。

今回は天気予報を見ても期間中は晴天が見込めず、悪くいくとボランティア活動ができずに帰着しなければならないことも想定しての出発でした。出発後しばらくして雨が降り始め、950km先の岩手県花巻市東和町の拠点までほとんど雨の中の移動になりました。

第2日目(23日)

トイレ・食事休憩のみで、「東和ボランティアの家」に午前10時半に到着。この日は、時間的にも被災地での活動は行えないことから、拠点での雑務(事務所、宿泊部屋の掃除・寝具シーツ類の洗濯・備品の整理)を行ない、雑務が一段落した午後6時頃に近隣の東和温泉(スーパー銭湯)にて夕食兼入浴をいたしました。

この東和温泉には、”浄土真宗ボランティア割引”なる制度があり、入浴料と食事のセットでなんと900円!!充分その価値はありました。夜は、8月10日から活動を続けていた北豊教区メンバーの活動反省会・交流座談会に参加し、明日以降活動を行う大槌町、気仙沼市の状況などを報告いただきました。

第3日目(24日)

昨夜の天気予報通り内陸部は早朝から本降り。しかし、沿岸部の降水確率は低いようなので、大槌町社協VC(ボランティアセンター)での活動が可能と判断し、午前7時に拠点を出発し、大槌町社協VCに向かいました。

約2時間後に到着した頃までは小雨が降っていましたが、作業現場に向かう頃には雨もあがり薄日が差すほどにまで回復してきました。この大槌町は、町長をはじめ、役場の方が多数亡くなられ、自治体が機能しなくなったことから、岩手、宮城両県の被災地の中でも最も復興が遅れている町と言われています。

私たちがこの日作業を行った大槌町の安渡(あんど)地区は、津波による犠牲者が他の地区より多く、自衛隊の撤収期限直前まで行方不明者の捜索活動が続けられていた地区だと聞きました。その状況は、 住宅は基礎部分が残るのみで、鉄道の線路は枕木ごと流されたのか、鉄橋は橋脚だけが残り、 さらに防潮堤の水門の大きな鉄扉が約300mほど陸地の方へ流されるといった悲惨な光景でした。 その光景を見ながら他のボランティアチームと共に、午後3時まで住居基礎部分の汚泥除去作業を行いました。

その作業は45分間作業を行い、15分間休憩の繰り返しで、常に水分補給をしなければならないほどの作業でした。 作業中、多くの日用品や衣類といった生活用品など、あらゆる種類の品物が泥の中から掘り出されます。名前の確認できるものや貴重品、思い出の品や現金などは必ずVCに届けなければなりません。また、作業現場の周辺には、亡くなった方へ供えられたと思われるお花があちらこちらに見られます。作業終了後は、隣町の釜石市合同庁舎にて、災害派遣従事証明書の発行を受けに行き、釜石市内の被災現場を視察しました。

市内中心部(新日鉄釜石製鉄所より沿岸部)では予想通り今もなお信号が点灯していない交差点が数多くあり、警官による交通整理も今も見られます。午後5時頃に現地を離れ午後7時頃東和町の拠点に帰着後、東和温泉で入浴と食事をし、10時半に就寝しました。

第4日目(25日)

当日の天気予報も内陸部は雨で沿岸南部は曇り。気仙沼での活動を行います。

午前6時半に拠点を出発し、遠野市から陸前高田市を経由して気仙沼へ行くルートを選び、気仙沼社協VC到着は8時15分でした。気仙沼社協VCでのボランティアの登録方法は、他のVCとは少し変わっており、ボランティア活動が可能か否かは、ボランティア参加者と、依頼される作業内容が合致することが必要とされます。

全体ミーティングで「マッチング」(資格、特技、希望する作業内容等と、依頼された作業との適性確認)が行なわれ、私たちのチームは四人一組での作業を希望されているところに決定しました。その作業は、一階天井部分まで水没した酒店からの依頼で、避難時に使用していたアウトドア用テントなどの撤収作業でした。約1時間程度で作業は終了し、その後、この酒店のおばあちゃんが作った手作りのしそジュースを頂き、被災時の状況やその後の暮らしなどを聞かせていただいた後に次の作業現場へ移動しました。

次の作業は前回、地元の方から『まだ当分は危ないから近寄らない方が良い』と言われた、 津波の後の大火災で街中が灰燼と化した気仙沼市鹿折(ししおり)地区付近の民家の草刈り作業でした。 放射性物質の影響も気になりますが、そんなことは言っていられません。その後、地元気仙沼のボランティアグループ 「ゲットバックス」の渡辺氏と気仙沼社協VC地域支援部門担当者と打ち合わせを行ない、その後第3回支援活動を予定している 「気仙沼プラザホテル」へ向かい、ホテルの責任者と次回活動について打合せを行なった後、気仙沼を後にしました。

その後、4名のメンバー中、3名(北條・玉井・北條jr)が25日の新幹線で帰京し、新たに1名(土橋)が合流するため、JR新幹線一関駅へ向かいました。帰京する3名とはそこで別れ、新たに合流した1名と共に2名で東和町の拠点に午後6時半に到着し、本日の活動を終えました。

第5日目(26日)

一昨日と同様、大槌町でのボランティア作業に向かいました。

午前7時に東和拠点を出発。大槌町社協VCに向かい午前8時半に到着。午前9時半~午後3時まで、一昨日と同じ安渡地区にて、岡山県の大学生ボランティアチームと共に、住居基礎部分の汚泥除去作業を行ないました。汚泥の中からはおびただしい量の硬貨やカード類、小学校の教科書やノート類、未開封の洋酒の瓶や日常の生活用品などが次々と掘り出され、複雑な思いの中での作業になりました。

作業終了後、VCで報告書を提出し大槌町を後にしました。

第6・7日目(27・28日)

27日は一日かけて岩手県から富山県まで約650キロを移動するだけです。

東和の拠点を午前9時半に出発し、釜石道~東北道~磐越道~北陸道の各高速道路を経て、富山県の宿所には午後6時頃に到着しました。というのも、前回の帰路のスケジュールもそうでしたが、被災地から京都へ直帰するには体力的にも厳しいことから、京都へ帰る道程で必ず途中で1泊し、余裕を持ってのスケジュールとしました。そして翌28日の午後、京都に無事帰着しました。

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今回の活動を通じて感じたことですが、前回5月の活動から3ヶ月が経過した被災地の状況は、復興の足音は少しずつ大きくなってきているとはいえ、私が見てきた限りでは、少なくとも岩手、宮城各県の津波被害を受けた沿岸地域のガレキはまだまだ手付かずの状態のところもたくさんあり、特に港湾周辺の商店街などでは残念ながら大きな変化は見られませんでした。

前回の報告にも書いたことですが、京都で情報収集をしても、実際に現地へ行かなければわからなかったことも多く、また、こちらで読む新聞等の情報もあまりアテにならないことも感じました。ましてや警察による行方不明者の捜索もまだまだ続いています。

この報告書を作成している日現在でも死亡が確認された方の総数は1万5769人、行方不明の方はいまだに4227人もおられます。

ただ、重機やダンプが巻き上げる砂ボコリは今も凄いですが、被災地全体を覆っていた腐敗臭はほとんど気にならないようになっていました。

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私たちが今後おこなっていく活動は、物資の提供や労働力での支援から仮設住宅入居者の直接支援に移っていく予定です。

次回活動は10月17日から宮城県気仙沼市を中心にして仮設住宅に移られた方々に、日々のストレスを少しでも軽減してもらおうと、仮設住宅に入居されているお年よりの方たちを中心にマイクロバスで市内の温泉地へ日帰り入浴に招待することと、今後必要になってくる自治活動をより活発なものにすることを目的とし、住民相互の親睦をはかるために、仮設住宅に無料のテントカフェ(お茶、コーヒーなどの飲み物や軽食と、京都から持参する特産品や和菓子を食べて和んでいただく)を開設し支援していく予定です。

お盆参りの時に、「義援金として慈善団体に振り込むより、お寺に託すほうがどのように活用されているのかがわかるからうれしい」とお話いただいたことがありました。私たちの活動にご理解・ご協力いただけていることに対し、本当に嬉しい思いでいっぱいです。被災地の支援は今年で終わるわけではありません。私たちのチームは少なくとも今後数年は支援していく予定です。

①岩手県の中でも最も復興が遅れている町のひとつであるにも関わらず、この日大槌町でボランティアに従事した人数はたったの47名。

②墓石が倒壊したままの墓地に犠牲者の塔婆が立っている。その向こうには大槌町長死亡に伴う新町長選挙用ポスターの看板が見える。

③足元から向こうは枕木を残して線路が引きちぎられた三陸鉄道の線路。ここに再び線路が敷かれるのはいつになるのだろうか。

④大槌川にかかる橋。欄干部分は津波の影響ですべてが海側から内陸側に曲げられている。あらためて津波の怖しさが思い知らされる。

⑤岩手県釜石港の岸壁に乗り上げたパナマ船籍の貨物船「アジアシンフォニー号」8月18日にようやく撤去の見通しがついたという。

⑥地盤沈下の影響か?この日も釜石港の魚市場は水没したままである。以前見られた水揚げ時の活気もセリの声もここにはない。

⑦街全体が焦土と化した気仙沼市鹿折地区の歩道橋。中央にはボランティアが残したのだろうか、寄せ書きされた日の丸が見える。

⑧気仙沼漁港で被災した大型漁船のそばには、震災復興のシンボルである「ひまわり」が歩道の割れ目から力強く咲いていた。