【2011年10月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク

2011.11.18|サポートメンバーの活動ご紹介

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現地支援活動報告 (報告者:事務局 中原 順章)

第2回目の活動から約2ヵ月が経過した10月17日から5日間の行程で活動を行なってきました。 前回の報告では出発から帰着までの行程をある程度詳細に報告しましたが、今回は移動に関しては概要とし、 ボランティア活動の報告を主にしたいと思います。

今回の活動は第1回目の活動を行った宮城県気仙沼市において、総勢12名で3ヵ所の仮設住宅「切通仮設・松崎柳沢西仮設・松崎萱仮設」 全60世帯で「カフェ活動」(お茶・菓子接待)と按摩マッサージ指圧師国家資格所持者による「マッサージの施術」そして 「日帰り温泉へのご招待」を行い、併せて上記仮設住宅の全世帯にお米(1世帯あたり15kg)・京都の和菓子・漬物・使い捨てカイロ・ 入浴剤などをお渡しいたしました。

以下ボランティアの活動報告書抜粋
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1日目~2日目  京都教区教務所にてワンボックスバン2台に支援物資を満載し、午前10時に出発。名神・北陸道を経由し、新潟別院で一泊。 翌日は磐越道・東北道を経て岩手県の新幹線一関駅で同日朝に京都を出発した新幹線参加者5名と合流。 明日の活動場所である切通仮設住宅の下見を行なった後、今回初めて参加するメンバーのために気仙沼市鹿折(ししおり)地区を視察し、 今回の宿所である気仙沼プラザホテルに到着した。

3日目  午前8時半に宿所を出発し、15分ほどで気仙沼市西部に位置する切通仮設住宅に到着。この仮設住宅はすでに自治会が発足しており、 住民相互のコミュニケーションもあってか、私たちが到着した途端たくさんの方に出迎えていただいた。すぐにマッサージ担当スタッフ(4名) は談話室(集会所)で施術を開始し、その他のスタッフ(8名)は厨房用テントの設営後、直ちにお茶の接待を開始すると共に支援物資(お米・ 京菓子・漬物等)を分配する作業に取り掛かった。

* 初参加のマッサージ担当スタッフ4名による按摩マッサージの施術。後には順番を待つ人がお茶とお菓子を食べながら談笑されている。
撤収作業完了後、仮設住宅の方々が今回の活動のお礼にと【星影活動も少し落ち着いてきた午前11時頃、 マイクロバスで仮設住宅の方たちを日帰り温泉入浴に招待し、気仙沼プラザホテル内の温泉へ向かう。途中、 廃校になった元気仙沼市月立小学校へ立ち寄り昼食をとる。この学校跡地には、「八瀬:森の学校」と「東北@連帯SWTJ」 の2つのボランティア団体が半常駐しており、八瀬:森の学校の方は、仮設住宅におられる方たちを招待し、 手打ち蕎麦と秋刀魚の塩焼きを振舞っておられ、私たちもお相伴に与った。昼食後、招待した皆さんにゆっくりと温泉に入っていただいた。 マッサージ担当スタッフも一緒に同行し、介添えを必要とする方のサポートも行なった。入浴後は仮設住宅に戻り、マッサージ施術を再開し、 すべての世帯に今回用意した支援物資を配布した。

撤収作業完了後、 仮設住宅の方々が今回の活動のお礼にと【星影のワルツ】を合唱していただき、和やかな雰囲気の中仮設住宅を後にした。

* 日帰り温泉に招待した切通仮設住宅の皆さんとメンバー。大きなお風呂にゆっくりと入れるなんて思っていなかった!と大好評でした。

* 切通仮設住宅の最後の方の施術が終わったところ。体のコリがほぐれるとみんなの顔からは自然と笑顔がこぼれ出てくる。

4日目~5日目  宿所を午前8時半に出発。気仙沼市南東部に位置する松崎柳沢西仮設住宅と、 それに隣接する松崎萱仮設住宅には20分ほどで到着。この日は半数のメンバーが当日午後の新幹線で帰京しなければならないことと、 日帰り温泉の招待はないことから、今日の活動は午後1時過ぎまでとなった。こちらの仮設住宅は、昨日の仮設住宅とは違い、 自治会がまだ発足しておらず、住民相互の交流もほとんどないことから、現地社協VCのスタッフ数名も同行し、 私たちの活動のサポートをして下さった。事前にVCスタッフが今日の活動の案内チラシを配布していただいたにも関わらず、 準備の段階では談話室(集会所)を見に来られる方がほとんどなく心配していたが、 社協VCスタッフが各家庭に声掛けをしていただいたおかげで徐々に人が集まりだしひと安心。しかし、 住民同士のコミュニケーションがとれておらず、 マッサージを受けられた方は談話室に残って私たちが用意したお茶やお菓子をいただかれることもなく部屋に帰られる方も多く、 昨日の場合と違い、私たちが撤収作業をしている時も、 仮設住宅を離れる際にも見送っていただける人がほとんどおられなかったのは少し寂しい気がした。

午後1時半に仮設住宅を離れ、新幹線組(7名)を新幹線一関駅に送り届け、行きの行程と同じく新潟別院で一泊し、翌日京都に無事帰着した。

今までは宿泊場所を無償で提供していただけるところを選んでいましたが、今回は被災地支援の一環として地元資本のホテルに宿泊しました。 この件に関してはいろいろ賛否のご意見があると思いますが、まだ震災の傷跡が生々しく残る気仙沼港には観光船の就航も再開しており、 旅行者も思う以上に多く見られました。これを見て「被災地に観光旅行に行くなんて不謹慎だ」と思われる方もおられると思いますが、 被災された地元の方は先行きの見えない不安の中、復興に向けて一生懸命頑張っておられます。 長期化する現実の重みに耐えかねておられることなどを聞いていると、ボランティア活動であれ観光旅行であれ、私たちが実際に現地を訪れ、 その現実を自分の目で見ると同時に地域の復興に役立つこと(地元にお金を落とすこと)も立派な支援活動のひとつになると私は思います。

第4日目の松崎地区での活動について、撤収時に現地社協VCのスタッフから、「東北の方は一旦心が通い合うと義理人情に厚い方が多いが、 地方独特の閉鎖性というか、特に年配者は知らない人の世話になったり、施しを受けていいのかという思いを持たれる方が多い」 という話を聞きました。その話を聞いた時に、「切通仮設住宅」での活動と「松崎地区の仮設住宅」とのギャップも理解できました。また、 今回から実際に放射性物質が私たちの活動範囲にどれだけ飛散しているのかを知るために、「放射線量計」を持っていきました。 基準の目安として保福寺の本堂で放射線量を計ってみると、0.03~0.04マイクロシーベルト毎時という数値でした。今回の行程中、 放射線量が最も高かった所はやはり福島県でした。郡山市~二本松市(原発から60km以上離れている)の高速道路の車中でさえ、 0.9マイクロシーベルト毎時以上(移動中の車中での計測ですから、 参考程度とお考えください)が検出され、線量計からは常に警告音がピピピピ……と発せられていました。 この数値は京都で計測した数値の30倍以上の値です。これがどの程度人体に影響するのかは私にはわかりませんが、 病院のレントゲン室などでよく見かかる「放射線管理区域」の基準は0.6マイクロシーベルト毎時以上ですから・・・・。

* 福島県二本松市の東北道上で計測した放射線量は0.908 マイクロシーベルト毎時を指している。線量計からは警告音が鳴り響いている。

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次回の私たちの活動は、お正月明けに同じく気仙沼市内の仮設住宅にいる子供たちを集めて「たこあげ」と「お雑煮の炊き出し」を考えています。 また、台風12号による被害についても、奈良県五條市宇井地区にある真宗のご門徒さまだけの集落全10戸の支援活動を予定していますが、 お手次ぎのご寺院を含め全戸ご自宅から避難されていることから、支援の要請がいまだない状況です。

一日も早い被災地の復興を願いつつ活動を続けていきたいと思いますので、益々のご支援をお願いいたします。

* 当日の朝、気仙沼港に水揚げされたさんま。炭火で焼いて熱々を頂きました。新鮮なさんまって口の先が黄色って知ってました?  
   * 被災者の一人が見せてくれた仮設住宅の内部。プレハブのため壁や天井には断熱材もなく、壁にダンボールを貼り寒さを乗り切るという。