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	<title>一般社団法人・日本エンディングサポート協会(Ending Support Society Japan) &#187; サポートメンバーの活動ご紹介</title>
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	<description>最期まで自分らしくを一人でも多くの方へ</description>
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		<title>スポットライト出版 第一回としま終活フェア レポート</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Mar 2014 10:30:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[はな]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[2014年3月5日、冷たい雨の降りしきる中、豊島区の金剛院にて、「第一回としま終活フェア」が開催されました。 あいにくの天気にも関わらず、普段から地域の方々に親しまれている金剛院には60名以上の方が集まられました。 「地域の商店街でチラシをもらってきたの」 「友達に誘われてね、こういうの初めてなんだけど・・・」 「今日、終活はじめるの！」 などなど様々な声が聞こえる中での開催となりました。 なんと今回のフェアの中で行われた、「終活セミナー」はお寺の広々とした本堂にて、御本尊様に見守られながら、厳かな雰囲気の中で行われました。 「改修されたばかりの本堂中に入るのは初めて」という地域の方もいらっしゃり、特別な機会となりました。 そのため、本堂の中は満席。立ち見も出るほどの盛況でした。 そんな中、セミナーは日本介護予防協会の乙黒先生による「健康体操(ロコモティブトレーニング)」からスタートしました。日常動作の中にあるトレーニングや日常ではあまり意識を向けない部分を動かす体操をレクチャーして頂きました。足の指など普段なかなか動かさない部分は思うようにいかない方も多かったのではないでしょうか 本編の「終活セミナー」では、当協会代表の佐々木よりオリジナルテキストを使った、終活の講習を行いました。 相続や遺品の整理など、いざ考えてみると非常に大きな問題に、皆さんは大きくうなずきながらお聞きになっていました。 大切なことは「誰に託すのかを決めておくこと」、「情報収集をして比較検討すること」など、気持ちの面から法的な部分、お金に関することまで多岐に渡って、丁寧に解説されました。 休憩時間には各ブースにおいて、出店企業による相談会やおくりびとアカデミー様による納棺の儀のデモンストレーション・納棺体験が行われました。 特におくりびとアカデミーのブースには数十人の人だかりができていました。 初めて見る納棺の儀、所作の美しさや一つ一つの意味に皆さん聞き入っていました。多くの方が笑顔で棺桶に入られ、手を振る姿も印象的でした。 自分が知らずに終わってしまうかも知れないことも、興味を持つことで知ることができるんだと感心していらっしゃいました。 その他、ブースでは葬儀相談、海洋散骨、遺品整理、手元供養品をはじめ、税理士や行政書生書士の先生への相続相談、遺影写真撮影、自分史づくりなど様々な「終活」を応援する企業が出展し、賑わっていました。 「今日もっとおめかし、してくればよかったわ！！」 と遺影写真撮影の前で、嘆かれる方も少なくありませんでした。皆様、次回はお気を付け下さい。 後半のセミナーでは日本介護予防協会の田中直毅先生より、簡単なエクササイズを交えながらリラックスした雰囲気で講演が行われました。 とりわけ元気なうちは「介護」と聞くだけで自分には関係のないことだと思ってしまいがちですが、介護予防こそ元気なうちから始めることで、「元気で長生き」を実現できるのだと訴えておられました。田中先生、貴重なお話を有難うございました。 第一回の終活セミナーは以上のように大盛況のうちに幕を閉じました。 半日間のあっという間の時間でしたが、充実した終活フェアとなりました。 記事提供：スポットライト出版 渡部(JESSサポート会員） http://info.spotl.jp/]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>2014年3月5日、冷たい雨の降りしきる中、豊島区の金剛院にて、「第一回としま終活フェア」が開催されました。</p>  <p><img title="resize0838" style="border-top: 0px; border-right: 0px; background-image: none; border-bottom: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; border-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px" border="0" alt="resize0838" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0838.jpg" width="244" height="163" /><img title="resize0837" style="border-left-width: 0px; border-right-width: 0px; background-image: none; border-bottom-width: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px; border-top-width: 0px" border="0" alt="resize0837" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0837.jpg" width="244" height="163" /></p>  <p>あいにくの天気にも関わらず、普段から地域の方々に親しまれている金剛院には60名以上の方が集まられました。</p>  <p>「地域の商店街でチラシをもらってきたの」</p>  <p>「友達に誘われてね、こういうの初めてなんだけど・・・」</p>  <p>「今日、終活はじめるの！」</p>  <p>などなど様々な声が聞こえる中での開催となりました。</p>  <p>なんと今回のフェアの中で行われた、「終活セミナー」はお寺の広々とした本堂にて、御本尊様に見守られながら、厳かな雰囲気の中で行われました。</p>  <p>「改修されたばかりの本堂中に入るのは初めて」という地域の方もいらっしゃり、特別な機会となりました。</p>  <p>そのため、本堂の中は満席。立ち見も出るほどの盛況でした。</p>  <p>そんな中、セミナーは日本介護予防協会の乙黒先生による「健康体操(ロコモティブトレーニング)」からスタートしました。日常動作の中にあるトレーニングや日常ではあまり意識を向けない部分を動かす体操をレクチャーして頂きました。足の指など普段なかなか動かさない部分は思うようにいかない方も多かったのではないでしょうか</p>  <p><img title="resize0850" style="border-left-width: 0px; border-right-width: 0px; background-image: none; border-bottom-width: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px; border-top-width: 0px" border="0" alt="resize0850" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0850.jpg" width="244" height="163" /><img title="resize0854" style="border-left-width: 0px; border-right-width: 0px; background-image: none; border-bottom-width: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px; border-top-width: 0px" border="0" alt="resize0854" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0854.jpg" width="244" height="163" /></p>  <p>本編の「終活セミナー」では、当協会代表の佐々木よりオリジナルテキストを使った、終活の講習を行いました。</p>  <p>相続や遺品の整理など、いざ考えてみると非常に大きな問題に、皆さんは大きくうなずきながらお聞きになっていました。</p>  <p>大切なことは「誰に託すのかを決めておくこと」、「情報収集をして比較検討すること」など、気持ちの面から法的な部分、お金に関することまで多岐に渡って、丁寧に解説されました。</p>  <p>休憩時間には各ブースにおいて、出店企業による相談会やおくりびとアカデミー様による納棺の儀のデモンストレーション・納棺体験が行われました。</p>  <p>特におくりびとアカデミーのブースには数十人の人だかりができていました。</p>  <p>初めて見る納棺の儀、所作の美しさや一つ一つの意味に皆さん聞き入っていました。多くの方が笑顔で棺桶に入られ、手を振る姿も印象的でした。</p>  <p>自分が知らずに終わってしまうかも知れないことも、興味を持つことで知ることができるんだと感心していらっしゃいました。</p>  <p><img title="resize0857" style="border-left-width: 0px; border-right-width: 0px; background-image: none; border-bottom-width: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px; border-top-width: 0px" border="0" alt="resize0857" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0857.jpg" width="244" height="163" /><img title="resize0871" style="border-left-width: 0px; border-right-width: 0px; background-image: none; border-bottom-width: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px; border-top-width: 0px" border="0" alt="resize0871" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0871.jpg" width="163" height="244" /></p>  <p>その他、ブースでは葬儀相談、海洋散骨、遺品整理、手元供養品をはじめ、税理士や行政書生書士の先生への相続相談、遺影写真撮影、自分史づくりなど様々な「終活」を応援する企業が出展し、賑わっていました。</p>  <p>「今日もっとおめかし、してくればよかったわ！！」</p>  <p>と遺影写真撮影の前で、嘆かれる方も少なくありませんでした。皆様、次回はお気を付け下さい。</p>  <p><img title="resize0870 - コピー" style="border-top: 0px; border-right: 0px; background-image: none; border-bottom: 0px; padding-top: 0px; padding-left: 0px; border-left: 0px; display: inline; padding-right: 0px" border="0" alt="resize0870 - コピー" src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2014/03/resize0870-1.jpg" width="244" height="163" /></p>  <p>後半のセミナーでは日本介護予防協会の田中直毅先生より、簡単なエクササイズを交えながらリラックスした雰囲気で講演が行われました。</p>  <p>とりわけ元気なうちは「介護」と聞くだけで自分には関係のないことだと思ってしまいがちですが、介護予防こそ元気なうちから始めることで、「元気で長生き」を実現できるのだと訴えておられました。田中先生、貴重なお話を有難うございました。</p>  <p>第一回の終活セミナーは以上のように大盛況のうちに幕を閉じました。</p>  <p>半日間のあっという間の時間でしたが、充実した終活フェアとなりました。</p>  <p>記事提供：スポットライト出版 渡部(JESSサポート会員）</p>  <p><a title="http://info.spotl.jp/" href="http://info.spotl.jp/">http://info.spotl.jp/</a></p>]]></content:encoded>
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		<title>【2012年6月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Jul 2012 13:17:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[はな]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[*釜石市小白浜に建造されたスーパー堤防も無残な姿を見せている。しかし、この堤防がなかったら、もっと甚大な被害が及んだだろう。 第６次支援活動の報告 第６次支援活動は、６月４日から８日までの５日間の行程中好天に恵まれ、予定通り活動を終えることが出来ました。いつもの気仙沼市切通仮設住宅での&#8221;ふれあい&#8221;は勿論のこと、現地社会福祉協議会からの紹介で、未だボランティアの手が差し伸べられていない仮設住宅にも訪問することができました。切通仮設住宅では、若手のお父さんたちが用意してくれたご当地Ｂ級グルメの「気仙沼ホルモン」を堪能し、お仕事であまりお会いする機会がなかった若い世代の方々とも交流することができました。 また、活動の初日と最終日の２日間は、岩手県宮古市～大槌町～釜石市～宮城県気仙沼市～南三陸町～女川町～石巻市～仙台市と、津波で被害を被った海岸線のルートを巡り、テレビや新聞などに取り上げられることのなかった小さな沿岸部の集落の現状視察と、第１次・第２次活動時に撮影した同じ場所において被災１年後の記録写真を撮影してきました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― １日目　　先発隊メンバー4名は、午前７時１５分大阪伊丹空港発の飛行機で仙台へ。仙台より新幹線を乗り継ぎ岩手県の盛岡駅には午前１１時に到着。ここからレンタカーで宮古市に入り、壊滅的な津波被害を受けた海岸線を南下していきました。発災後最初に東北を訪れた頃は、目にするすべての光景がショックで、言葉も出なかったのですが、その後１年以上が過ぎ、ガレキ等の撤去が進んでいるとはいえ、木造住宅は建物の基礎部分だけを残し、鉄骨造の建物は津波の影響を受けた部分だけが鉄骨むき出しで建っているその光景を見ても、何度も来ているうちに私たちの心の中でそれが&#8221;被災地での普通の光景&#8221;となっていることが、ある意味怖いことを感じました。 道中、陸中山田までの道路は、離合も容易でない細い道のうえ、連続したカーブが続き、目視で海岸線の様子を確認することも難しい状況でしたが、大槌町の安渡地区には午後５時頃に到着しました。第２次活動でガレキ撤去を行なった場所の状況は、あれから１年弱の月日が経過しているにも関わらず全くといっていいほど変わっていませんでした。変わったところといえば、ガレキを積み上げた巨大な山があちこちに見られるようになったことでしょうか。多くの職員が犠牲になった大槌町役場の旧庁舎やプラットホームだけがかろうじて残った大槌駅を訪れた後、本日の宿泊地である釜石へは午後６時３０分頃に到着しました。 ２日目　　朝食後、第２次活動で訪れた、大型タンカーが座礁していた釜石漁港を訪れました。が、すでにタンカーは海に返され、前回見たような光景ではありませんでした。記録写真を撮り、その後、釜石市郊外の小白浜漁港を訪ねました。報道では知ることができなかったのですが、その集落は昭和５４年から１１年の歳月と１０億円以上の経費をかけ、村を津波から守るために造られた高さ１２メートルを越える防波堤があったのですが、巨大津波によって無残にも破壊されてしまった光景には、被災地の景色に慣れてしまった私もさすがに言葉を失いました。 ここの住民は、どのような思いで先達たちが建造してくれた巨大な防波堤が大津波に呑まれていく光景を見ていたのかを思うと、やりきれない気持ちが込み上げてきます。その後大船渡市へ向い、元大船渡駅前に仮設された商店街があったので昼食を兼ねての休憩となりました。休憩中に商店街の一角にある婦人服店の店主が、この街の発災当時の様子や将来の大船渡の展望などを親切に教えて下さりました。 休憩後、陸前高田には午後１時に到着。一番に超宗派で建立された震災犠牲者追悼の碑に参拝し、その後、市消防署・陸前高田高校等を訪れ、気仙沼市へ向かいました。途中、高田松原の奇跡の一本松を遠望しましたが、遠目に見ても完全に枯死しているのがわかります。気仙沼市には、ほぼ予定通りの時刻に到着。昨年の第１次活動時に炊き出し活動を行なった、当時避難所として使用されていた気仙沼・本吉防災センター、さらには東北の津波被害の状況を初めてこの目で見た場所である松岩地区。その場所を通るまでは地震の影響も私たちにはあまり感じられず、住居も普通に立ち並んでいたのが、ある曲がり角を曲がった途端に、何かもがめちゃくちゃに破壊し尽くされ、ガレキと押しつぶされた自動車と、たくさんの自衛隊員がゾンデ棒を持ちご遺体の捜索をされている光景を見た場所です。ここでも記録写真を撮りました。 その後、今日から合流するメンバーを待つために気仙沼駅へ向かいました。午後４時頃に合流し、今回の参加メンバー全員が揃いました。まずは、気仙沼市社協ボラセン（ボランティアセンター）に届けてある備品（テントやたこ焼き器・マット等）を積み込み、宿所である気仙沼プラザホテルに一旦チェックイン。そして、タクシーで切通仮設住宅へ向かいました。今日の夕食は、仮設住宅前の広場でのホルモンバーベキュー。前回（震災１年後の３月訪問時）に、切通仮設住宅の若手のお父さんたちから「気仙沼といえば豚ホルモン！カツオやサンマもいいけれど、今度は名物の&#8221;気仙沼ホルモン&#8221;を用意して待っていますから」と、気仙沼＝海産物と思っていた私たちにはよくわからない事を言われていたのですが、それがこんなにも早くに実現するとは？！。天候にも恵まれ、仮設住宅の皆さんとの会話も美味しい肴となり、バーベキューパーティーは遅くまで続きました。 ３日目　　メンバーのうち４人は、早朝より陸前高田の一本松を見に行きました。１月に見たときに比べて、思う以上に腐食が進んでいました。以前根元に安置してあった地蔵菩薩像も今はありません。朝食後、午前９時半に切通仮設住宅へ伺い、活動開始。今回は大阪名物「たこ焼き」を振舞い、ボディーケア（按摩）マッサージ班と共に傾聴活動を行うことが目的なので、午前１０時半頃からたこ焼きの仕込みを開始。談話室ではすでにマッサージが行われ、皆さんの笑顔と笑い声が外にも漏れてきていました。 私たちがたこ焼きを焼いている間、その横では仮設住宅の女性の皆さんが私たちのために手作り餃子を焼かれていました。周りには食欲をそそるいい香りが漂います。みんながお腹一杯になり談笑や傾聴、マッサージを行なっている頃には、学校や幼稚園から帰ってきた子供たちが集まりだし、すぐにたこ焼き屋の再開。東北の子供たちもたこ焼き作りは珍しいらしく、興味しんしんで私たちの作る手元をじっと見ていたのが印象的でした。 あっというまに夕方になり、明日は他の仮設住宅での活動があるので撤収を始めました。その日の夜は、仮設住宅の方たちからのお誘いを受けて急遽カラオケボックスに出掛ける事になりました。震災の爪痕が残る南気仙沼地区にあるお店ではありましたが、カラオケ中はそんな事も忘れてしまえるほど楽しい夜が更けていきました。 ４日目　　今日は、現地ボラセンからの紹介があった、市内松崎地区の仮設住宅での活動です。その内容は昨日の活動と同じく、たこ焼きの炊き出しとボディケアマッサージ、そして、大切な傾聴活動です。この仮設住宅も比較的小さい規模（２５世帯　約５０人）であり、今までに一度もボランティア活動が受け入れられていない仮設住宅でした。しかし、初めてのボランティアの受け入れではありましたが、自治会長をはじめ、ご婦人の方々が率先して私たちの活動を受け入れて頂き、また社協スタッフの手伝いもあって、順調に活動を終える事ができました。仮設住宅の皆さんは今回が初めての活動受け入れであることからお疲れが出てもいけないのであまり長居はせず、再会できることを念じつつ午後２時頃には撤収となりました。 その後、午後４時に当日帰着隊の５名は新幹線一ノ関駅へ、明日まで活動を続ける２名は南三陸へと向かいました。南三陸までの道のりでは、あちこちで線路が分断（壊滅した鉄橋等）している光景を目にしましたが、そのどれもが&#8221;当たり前の光景&#8221;になってしまっており、記録写真を撮ることもなく、ただただ車窓から眺めているだけでした。やがて、夕暮れの南三陸に到着すると、建物もほとんど残っていない街の中に、自分の命を顧みず最後の最後まで街の人々に避難を呼びかけ続けた遠藤未希さんが勤めておられた南三陸町防災対策庁舎が私たちの目に飛び込んできました。あいにく日暮れ時でもあることから、明日もう一度この場所へ戻ってくることを約束し、街の外れにある宿所に到着したのは、午後６時半を過ぎていました。 ５日目　　今回の活動最終日。南三陸町から石巻を通って、仙台空港までの道のりです。この日は、人けのない早朝に街を見て回りました。松原公園に静態保存されていた装備重量１００tを超える蒸気機関車が、がれきの山に半分埋もれた状態で放置されている光景も見ました。また、昨日時間がなくてお参りすることができなかった南三陸町防災対策庁舎は、赤茶けた骨組みだけが残り、その前の祭壇には慰霊に訪れた方々が置いていった多くの千羽鶴や花束が建物の入り口を飾っていました。その後、南三陸を再び南下しました。 女川町に入る前に、全校児童１０８人のうち７４人、教職員１０人が犠牲となった石巻市立大川小学校に立ち寄りました。超宗派やご遺族で作られた大きな慰霊壇を見ていると、どうしてあれだけたくさんの命を失うことになったのか、本当に無念に思いました。私たちが手を合わせているとそこに、初老の男性がバイクで来られたのが見て取れました。その方の上着のポケットから出された写真には、お孫さんであろう３人が写っていました。１年３ヶ月が経過しようとも、お孫さんを３名も一度に失われたその悲しみは少しも和らいでいないことを感じ、本当にいたたまれませんでした。 その後、昨年の５月に訪れた女川町へ向かいました。まずは、鷲神公園へ。当時まだ仮土葬場になっていた青空駐車場です。すでにご遺体はすべて改葬されており、土葬場として使われていた場所の周辺は雑草が生えてきていました。発災当時は、おそらく数年は改葬すらできないだろうと言われていただけに少し安堵することができました。その後、女川町総合運動公園へ。 ここは、当時女川町で発見されたおびただしい数のご遺体の安置・安否確認所や被災者の避難所、自衛隊第１４旅団による入浴・給食等の被災者支援施設になっていた場所でした。もちろん今はもうその面影も全くなくなっていました。女川町を午前１１時過ぎに出発し石巻へ。石巻の街を一望できる日和山公園には正午に到着しました。巨大津波で壊滅した海岸線沿いの風景は、ここも同じく１年前と大きな違いは感じられませんでした。その後、石巻市に唯一ある浄土真宗本願寺派寺院の称法寺に向かいました。 記録写真の撮影後、石巻を出て海岸線を南へと進みました。今回の活動の最後に、仙台市郊外の荒浜地区に向かう事にしました。３月１１日、皆さんもニュースで見られたと思いますが、震災時のヘリコプターからの映像で、海岸から津波が押し寄せ、防風林や畑、家屋や自動車を次々と飲み込んでいく光景があったあの場所です。しばらく走っていると、あるお寺の看板が目に入ってきました。浄土真宗本願寺派の専能寺というお寺でした。飛行機の搭乗時間にはまだ余裕があったので、少し立ち寄ってみることにしました。 ちょうど坊守さん（ご住職の奥様）がおられて、ご門徒様数人と本堂の前で立ち話をされていましたが、私たちの突然の訪問にも関わらず、当時のご苦労話や、墓地の再建のこと、本堂や住居に残る津波の爪痕を丁寧に説明して下さいました。活動の最後にようやく本来あるべきはずのお寺の姿を見させてもらったような、少し嬉しい気がしました。坊守さんに突然の訪問を詫びお寺を出発し、午後５時頃には仙台空港に到着しました。レンタカーを返却し、空港内で仙台名物の牛タン焼きを肴に今回活動のお疲れ会をささやかに行い、午後７時５分発の飛行機で大阪（伊丹）へ、午後１０時頃に自坊へ無事到着し今回の活動は終了しました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 今回の活動において、傾聴活動はもちろん、初めてボランティアを受け入れてくださった仮設住宅の方たちと交流できたことや、大船渡では商店のご主人から聞いた、この街の復興計画について、非常に困難な問題が山積していることなど、現地に行かなくては見ることができないことや、普段聞けない生の声をたくさん聞くことができました。また、私たちの東日本大震災第１次支援活動から数えて今回で６回目を数えることができたこと、初めての活動から１年以上が経過した現地の様子や報道されていない小さな町の現状を直接見ることができたのは今後の支援活動にも活用できるのではないかと思います。 ＊スーパー堤防の概要が書かれている看板。１１年の歳月と１０億円を越える費用をもって建設された堤防も津波には勝てなかった。これだけ頑丈な堤防を造ったとしてもやはり「避難に勝る防護なし」の標語を忘れ去ってはいけない。 ＊大槌町安渡地区に集積されたガレキの山。分別されたうえで処分されるというが、処分が完了するまでに一体何年かかるのだろうか。 ＊仮設住宅若手のお父さんたち四人衆と気仙沼ホルモン。キャベツの千切りと共に食べるのだが、これが本当にビールに合うこと！美味し！ ＊初めて訪れた松崎柳沢上住宅にてたこ焼きの炊き出し。おばちゃん達が、私にもさせてとたこ焼きをクルッとひっくり返しに来られる。結構いい手つきでした。 ＊赤茶けた鉄骨だけになった南三陸町防災対策庁舎。大津波は周囲の全ての建物を巻き込み、この建物を完全に飲み込んでしまった。 ＊松原公園に横たわる蒸気機関車Ｃ５８１６号機。元の場所から１０ｍ以上も流され、動かすこともできずに放置されたままの状態になっている。 ＊大川小学校の校庭にあった壁画には卒業生たちが思いを込めてかいた宮沢賢治の影絵と、賢治の残した言葉が見て取れる。 ＊専能寺の境内に掲げられた墓地修復工事の看板。既に第１期工事はほとんど完了している。住職とご門徒様の熱意に頭が下がる思いである。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_6-1.jpg" alt="" title="" width="640" height="480" class="aligncenter size-full wp-image-297" />
<strong>*釜石市小白浜に建造されたスーパー堤防も無残な姿を見せている。しかし、この堤防がなかったら、もっと甚大な被害が及んだだろう。</strong>
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<strong>第６次支援活動の報告</strong><br />
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第６次支援活動は、６月４日から８日までの５日間の行程中好天に恵まれ、予定通り活動を終えることが出来ました。いつもの気仙沼市切通仮設住宅での&#8221;ふれあい&#8221;は勿論のこと、現地社会福祉協議会からの紹介で、未だボランティアの手が差し伸べられていない仮設住宅にも訪問することができました。切通仮設住宅では、若手のお父さんたちが用意してくれたご当地Ｂ級グルメの「気仙沼ホルモン」を堪能し、お仕事であまりお会いする機会がなかった若い世代の方々とも交流することができました。<br />
また、活動の初日と最終日の２日間は、岩手県宮古市～大槌町～釜石市～宮城県気仙沼市～南三陸町～女川町～石巻市～仙台市と、津波で被害を被った海岸線のルートを巡り、テレビや新聞などに取り上げられることのなかった小さな沿岸部の集落の現状視察と、第１次・第２次活動時に撮影した同じ場所において被災１年後の記録写真を撮影してきました。<br />
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<strong>１日目</strong>　　先発隊メンバー4名は、午前７時１５分大阪伊丹空港発の飛行機で仙台へ。仙台より新幹線を乗り継ぎ岩手県の盛岡駅には午前１１時に到着。ここからレンタカーで宮古市に入り、壊滅的な津波被害を受けた海岸線を南下していきました。発災後最初に東北を訪れた頃は、目にするすべての光景がショックで、言葉も出なかったのですが、その後１年以上が過ぎ、ガレキ等の撤去が進んでいるとはいえ、木造住宅は建物の基礎部分だけを残し、鉄骨造の建物は津波の影響を受けた部分だけが鉄骨むき出しで建っているその光景を見ても、何度も来ているうちに私たちの心の中でそれが&#8221;被災地での普通の光景&#8221;となっていることが、ある意味怖いことを感じました。<br />
道中、陸中山田までの道路は、離合も容易でない細い道のうえ、連続したカーブが続き、目視で海岸線の様子を確認することも難しい状況でしたが、大槌町の安渡地区には午後５時頃に到着しました。第２次活動でガレキ撤去を行なった場所の状況は、あれから１年弱の月日が経過しているにも関わらず全くといっていいほど変わっていませんでした。変わったところといえば、ガレキを積み上げた巨大な山があちこちに見られるようになったことでしょうか。多くの職員が犠牲になった大槌町役場の旧庁舎やプラットホームだけがかろうじて残った大槌駅を訪れた後、本日の宿泊地である釜石へは午後６時３０分頃に到着しました。<br />
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<strong>２日目</strong>　　朝食後、第２次活動で訪れた、大型タンカーが座礁していた釜石漁港を訪れました。が、すでにタンカーは海に返され、前回見たような光景ではありませんでした。記録写真を撮り、その後、釜石市郊外の小白浜漁港を訪ねました。報道では知ることができなかったのですが、その集落は昭和５４年から１１年の歳月と１０億円以上の経費をかけ、村を津波から守るために造られた高さ１２メートルを越える防波堤があったのですが、巨大津波によって無残にも破壊されてしまった光景には、被災地の景色に慣れてしまった私もさすがに言葉を失いました。<br />
ここの住民は、どのような思いで先達たちが建造してくれた巨大な防波堤が大津波に呑まれていく光景を見ていたのかを思うと、やりきれない気持ちが込み上げてきます。その後大船渡市へ向い、元大船渡駅前に仮設された商店街があったので昼食を兼ねての休憩となりました。休憩中に商店街の一角にある婦人服店の店主が、この街の発災当時の様子や将来の大船渡の展望などを親切に教えて下さりました。<br />
休憩後、陸前高田には午後１時に到着。一番に超宗派で建立された震災犠牲者追悼の碑に参拝し、その後、市消防署・陸前高田高校等を訪れ、気仙沼市へ向かいました。途中、高田松原の奇跡の一本松を遠望しましたが、遠目に見ても完全に枯死しているのがわかります。気仙沼市には、ほぼ予定通りの時刻に到着。昨年の第１次活動時に炊き出し活動を行なった、当時避難所として使用されていた気仙沼・本吉防災センター、さらには東北の津波被害の状況を初めてこの目で見た場所である松岩地区。その場所を通るまでは地震の影響も私たちにはあまり感じられず、住居も普通に立ち並んでいたのが、ある曲がり角を曲がった途端に、何かもがめちゃくちゃに破壊し尽くされ、ガレキと押しつぶされた自動車と、たくさんの自衛隊員がゾンデ棒を持ちご遺体の捜索をされている光景を見た場所です。ここでも記録写真を撮りました。<br />
その後、今日から合流するメンバーを待つために気仙沼駅へ向かいました。午後４時頃に合流し、今回の参加メンバー全員が揃いました。まずは、気仙沼市社協ボラセン（ボランティアセンター）に届けてある備品（テントやたこ焼き器・マット等）を積み込み、宿所である気仙沼プラザホテルに一旦チェックイン。そして、タクシーで切通仮設住宅へ向かいました。今日の夕食は、仮設住宅前の広場でのホルモンバーベキュー。前回（震災１年後の３月訪問時）に、切通仮設住宅の若手のお父さんたちから「気仙沼といえば豚ホルモン！カツオやサンマもいいけれど、今度は名物の&#8221;気仙沼ホルモン&#8221;を用意して待っていますから」と、気仙沼＝海産物と思っていた私たちにはよくわからない事を言われていたのですが、それがこんなにも早くに実現するとは？！。天候にも恵まれ、仮設住宅の皆さんとの会話も美味しい肴となり、バーベキューパーティーは遅くまで続きました。<br />
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<strong>３日目</strong>　　メンバーのうち４人は、早朝より陸前高田の一本松を見に行きました。１月に見たときに比べて、思う以上に腐食が進んでいました。以前根元に安置してあった地蔵菩薩像も今はありません。朝食後、午前９時半に切通仮設住宅へ伺い、活動開始。今回は大阪名物「たこ焼き」を振舞い、ボディーケア（按摩）マッサージ班と共に傾聴活動を行うことが目的なので、午前１０時半頃からたこ焼きの仕込みを開始。談話室ではすでにマッサージが行われ、皆さんの笑顔と笑い声が外にも漏れてきていました。<br />
私たちがたこ焼きを焼いている間、その横では仮設住宅の女性の皆さんが私たちのために手作り餃子を焼かれていました。周りには食欲をそそるいい香りが漂います。みんながお腹一杯になり談笑や傾聴、マッサージを行なっている頃には、学校や幼稚園から帰ってきた子供たちが集まりだし、すぐにたこ焼き屋の再開。東北の子供たちもたこ焼き作りは珍しいらしく、興味しんしんで私たちの作る手元をじっと見ていたのが印象的でした。<br />
あっというまに夕方になり、明日は他の仮設住宅での活動があるので撤収を始めました。その日の夜は、仮設住宅の方たちからのお誘いを受けて急遽カラオケボックスに出掛ける事になりました。震災の爪痕が残る南気仙沼地区にあるお店ではありましたが、カラオケ中はそんな事も忘れてしまえるほど楽しい夜が更けていきました。<br />
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<strong>４日目</strong>　　今日は、現地ボラセンからの紹介があった、市内松崎地区の仮設住宅での活動です。その内容は昨日の活動と同じく、たこ焼きの炊き出しとボディケアマッサージ、そして、大切な傾聴活動です。この仮設住宅も比較的小さい規模（２５世帯　約５０人）であり、今までに一度もボランティア活動が受け入れられていない仮設住宅でした。しかし、初めてのボランティアの受け入れではありましたが、自治会長をはじめ、ご婦人の方々が率先して私たちの活動を受け入れて頂き、また社協スタッフの手伝いもあって、順調に活動を終える事ができました。仮設住宅の皆さんは今回が初めての活動受け入れであることからお疲れが出てもいけないのであまり長居はせず、再会できることを念じつつ午後２時頃には撤収となりました。<br />
その後、午後４時に当日帰着隊の５名は新幹線一ノ関駅へ、明日まで活動を続ける２名は南三陸へと向かいました。南三陸までの道のりでは、あちこちで線路が分断（壊滅した鉄橋等）している光景を目にしましたが、そのどれもが&#8221;当たり前の光景&#8221;になってしまっており、記録写真を撮ることもなく、ただただ車窓から眺めているだけでした。やがて、夕暮れの南三陸に到着すると、建物もほとんど残っていない街の中に、自分の命を顧みず最後の最後まで街の人々に避難を呼びかけ続けた遠藤未希さんが勤めておられた南三陸町防災対策庁舎が私たちの目に飛び込んできました。あいにく日暮れ時でもあることから、明日もう一度この場所へ戻ってくることを約束し、街の外れにある宿所に到着したのは、午後６時半を過ぎていました。<br />
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<strong>５日目</strong>　　今回の活動最終日。南三陸町から石巻を通って、仙台空港までの道のりです。この日は、人けのない早朝に街を見て回りました。松原公園に静態保存されていた装備重量１００tを超える蒸気機関車が、がれきの山に半分埋もれた状態で放置されている光景も見ました。また、昨日時間がなくてお参りすることができなかった南三陸町防災対策庁舎は、赤茶けた骨組みだけが残り、その前の祭壇には慰霊に訪れた方々が置いていった多くの千羽鶴や花束が建物の入り口を飾っていました。その後、南三陸を再び南下しました。<br />
女川町に入る前に、全校児童１０８人のうち７４人、教職員１０人が犠牲となった石巻市立大川小学校に立ち寄りました。超宗派やご遺族で作られた大きな慰霊壇を見ていると、どうしてあれだけたくさんの命を失うことになったのか、本当に無念に思いました。私たちが手を合わせているとそこに、初老の男性がバイクで来られたのが見て取れました。その方の上着のポケットから出された写真には、お孫さんであろう３人が写っていました。１年３ヶ月が経過しようとも、お孫さんを３名も一度に失われたその悲しみは少しも和らいでいないことを感じ、本当にいたたまれませんでした。<br />
その後、昨年の５月に訪れた女川町へ向かいました。まずは、鷲神公園へ。当時まだ仮土葬場になっていた青空駐車場です。すでにご遺体はすべて改葬されており、土葬場として使われていた場所の周辺は雑草が生えてきていました。発災当時は、おそらく数年は改葬すらできないだろうと言われていただけに少し安堵することができました。その後、女川町総合運動公園へ。<br />
ここは、当時女川町で発見されたおびただしい数のご遺体の安置・安否確認所や被災者の避難所、自衛隊第１４旅団による入浴・給食等の被災者支援施設になっていた場所でした。もちろん今はもうその面影も全くなくなっていました。女川町を午前１１時過ぎに出発し石巻へ。石巻の街を一望できる日和山公園には正午に到着しました。巨大津波で壊滅した海岸線沿いの風景は、ここも同じく１年前と大きな違いは感じられませんでした。その後、石巻市に唯一ある浄土真宗本願寺派寺院の称法寺に向かいました。<br />
記録写真の撮影後、石巻を出て海岸線を南へと進みました。今回の活動の最後に、仙台市郊外の荒浜地区に向かう事にしました。３月１１日、皆さんもニュースで見られたと思いますが、震災時のヘリコプターからの映像で、海岸から津波が押し寄せ、防風林や畑、家屋や自動車を次々と飲み込んでいく光景があったあの場所です。しばらく走っていると、あるお寺の看板が目に入ってきました。浄土真宗本願寺派の専能寺というお寺でした。飛行機の搭乗時間にはまだ余裕があったので、少し立ち寄ってみることにしました。<br />
ちょうど坊守さん（ご住職の奥様）がおられて、ご門徒様数人と本堂の前で立ち話をされていましたが、私たちの突然の訪問にも関わらず、当時のご苦労話や、墓地の再建のこと、本堂や住居に残る津波の爪痕を丁寧に説明して下さいました。活動の最後にようやく本来あるべきはずのお寺の姿を見させてもらったような、少し嬉しい気がしました。坊守さんに突然の訪問を詫びお寺を出発し、午後５時頃には仙台空港に到着しました。レンタカーを返却し、空港内で仙台名物の牛タン焼きを肴に今回活動のお疲れ会をささやかに行い、午後７時５分発の飛行機で大阪（伊丹）へ、午後１０時頃に自坊へ無事到着し今回の活動は終了しました。<br />
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今回の活動において、傾聴活動はもちろん、初めてボランティアを受け入れてくださった仮設住宅の方たちと交流できたことや、大船渡では商店のご主人から聞いた、この街の復興計画について、非常に困難な問題が山積していることなど、現地に行かなくては見ることができないことや、普段聞けない生の声をたくさん聞くことができました。また、私たちの東日本大震災第１次支援活動から数えて今回で６回目を数えることができたこと、初めての活動から１年以上が経過した現地の様子や報道されていない小さな町の現状を直接見ることができたのは今後の支援活動にも活用できるのではないかと思います。
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<strong>＊スーパー堤防の概要が書かれている看板。１１年の歳月と１０億円を越える費用をもって建設された堤防も津波には勝てなかった。これだけ頑丈な堤防を造ったとしてもやはり「避難に勝る防護なし」の標語を忘れ去ってはいけない。</strong><br />
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<strong>＊大槌町安渡地区に集積されたガレキの山。分別されたうえで処分されるというが、処分が完了するまでに一体何年かかるのだろうか。</strong>
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<strong>＊仮設住宅若手のお父さんたち四人衆と気仙沼ホルモン。キャベツの千切りと共に食べるのだが、これが本当にビールに合うこと！美味し！</strong><br />
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<strong>＊初めて訪れた松崎柳沢上住宅にてたこ焼きの炊き出し。おばちゃん達が、私にもさせてとたこ焼きをクルッとひっくり返しに来られる。結構いい手つきでした。</strong><br /><br />

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<strong>＊赤茶けた鉄骨だけになった南三陸町防災対策庁舎。大津波は周囲の全ての建物を巻き込み、この建物を完全に飲み込んでしまった。</strong>
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<strong>＊松原公園に横たわる蒸気機関車Ｃ５８１６号機。元の場所から１０ｍ以上も流され、動かすこともできずに放置されたままの状態になっている。</strong><br /><br />
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<strong>＊大川小学校の校庭にあった壁画には卒業生たちが思いを込めてかいた宮沢賢治の影絵と、賢治の残した言葉が見て取れる。</strong><br />
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<strong>＊専能寺の境内に掲げられた墓地修復工事の看板。既に第１期工事はほとんど完了している。住職とご門徒様の熱意に頭が下がる思いである。</strong>
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		<title>【2012年3月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク</title>
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		<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 12:55:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[はな]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[＊一周忌法要並びに、命が恵まれたことに対しての感謝の気持ちの法要を勤修し、多くの方が参列された。 第５回支援活動の報告 今回の第５次（東北）支援活動は、震災発災から丸1年となる３月１１日に合わせて前日の１０日に現地入りをし、翌１１日に「東日本大震災犠牲者総追悼法要」を行なう計画を立てました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 東日本大震災から１年が経過しました。京都ネット第五次現地支援活動は、前回に続いて気仙沼の切通住宅に向かいました。今回は手作りのお食事を皆さんから頂戴し、こちらから皆さんへの「傾聴：けいちょう」というより、ボランティア活動という枠を超えて、親戚ぐるみのお付き合い……のような雰囲気になりました。　（参加メンバー談） １日目　　参加メンバーすべてが新幹線で現地に向かう。京都駅を午前８時５２分に発ち、東京で東北新幹線に乗り継ぎ、一関駅には午後２時１４分着。 一関で予約しておいたマイクロバスを借り、今回は一関にほど近い平泉町の中尊寺へ少しだけ観光。国宝の金色堂を拝観し、気仙沼に向かう。午後６時、予定通りＪＲ気仙沼駅前の「かつらや旅館」に到着。その後、タクシーに分乗し切通仮設住宅に向かう。事前に仮設の皆さんから「今回は炊き出しとか何もしないでください、皆さんとゆっくりお喋りがしたい」と言って下さっていたので、今回はそのお言葉に甘え、支援物資や手土産といったものは何も持参せずに向かった。 切通仮設住宅は、現在２０世帯５４人の小規模な仮設住宅であり、皆の顔を知っているから、到着して１分も経たないうちに家族のような雰囲気になってしまった。何か、故郷に帰ってきたような不思議な感覚。 仮設のご婦人の皆さんが用意してくださった食事をいただき、再会できた喜びの中に楽しい時間を過ごし、午後９時過ぎに仮設住宅を後にして旅館に戻った。 旅館に到着後、「宗教者災害救援ネットワーク」事務局長の、大阪大学教授：稲場圭信氏らと合流し、翌日の法要の打合せと今後の活動展開についてを話し合った後就寝。 ２日目　　朝食後慌ただしく出発準備をし、午前８時に旅館を出発し現地へ。まずは、気仙沼市でも最も被害の大きい南気仙沼地区へ向かい、続いて鹿折地区へ。３月１１日という事で、いたるところに手を合わす人たちやお供えの花、線香の香りが漂う。 「お魚いちば」で、&#8221;経済支援&#8221;のおみやげタイム。店内はボランティアの一行や観光客で混雑していた。午前１０時、仮設住宅に到着すると、昼食の準備をされておられて、美味しそうな匂いが部屋いっぱいに漂っていた。正午までは、皆さんとお喋りをしたりして過ごす。子どもたちはスタッフの若手メンバーとたこ揚げなどをして遊んでいた。 お昼になり、ご婦人方が作って下さった昼食をいただき、１時前頃から法要に向けて荘厳壇の準備。午後１時半からご親族を亡くされた方への１周忌法要、そして命が恵まれたことに対しての感謝の気持ちの法要を勤修（記録写真があまり撮れなかった）、その後僧侶スタッフによるご法話を行なった。法話終了後は参加者全員が外に出て、地震発生時刻の午後２時４６分、街中に発災時刻を知らせる有線放送がスピーカーから流れる中、海の方角に向かって全員で黙とう。またこの日、気仙沼市内では、自治体が主催する追悼行事が気仙沼市総合体育館で、また天台宗の寺院では、比叡山延暦寺の座主が導師を勤める追悼法要が行われたが、仮設の皆さんは、誰一人そちらの法要には参拝されず、私たちが行った法要にお参りされた事が本当に嬉しかった。その後、また皆さんとのお喋り（傾聴なんて固苦しいものではなく）をしていると、あっという間に気仙沼を出発する時刻が近づいて来てしまった。午後５時過ぎ皆で記念撮影をして、お見送りを受けながら、切通仮設住宅を後にした。一関から東京までは新幹線。その先、当日中に京都まで帰れる新幹線はないので、東京を午後１１時に出発するＪＲ夜行バスにて、翌朝７時に帰郷した。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 今回の活動は、参加したメンバーの一人から、ようやく発災当時の具体的な話をしていただけるようになったということを聞きました。持ち出せた物もほとんどない中、ある方は大切に持ち出したアルバムを、また発災当時燃え上がる気仙沼の街を写した写真などを見せていただきました。 次回の私たちの活動は、６月３日～１０日の日程で、切通仮設住宅を拠点とした傾聴活動、そしてできればいまだ自治会活動が行われていない（どこからも支援の手がさしのべられていない）仮設住宅を紹介していただき、カフェ活動（お茶・菓子の接待をし、住民相互の親睦をはかり、自治会活動発足のお手伝いをおこなう）と按摩マッサージ指圧師国家資格所持者メンバーによる「マッサージの施術」を行う予定です。また、お参りの都合にもよりますが、７月末にはようやく福島県にも活動範囲を広げていく話も出てまいりました。「震災支援を続ける会」というボランティア団体の呼びかけにより、「サマーキャンプin裏磐梯」というイベントにおいて、原発の警戒区域から避難している福島県の小学生を対象とした活動のお手伝いをさせていただく予定です。 ＊発災から１年が経過したが、いまだにこのような光景があちらこちらで見られる。 ご主人を亡くされたのだろうか、小さいお子さんとお母さんご両親の４名が、流された建物の前で静かに手を合わせておられる。 ＊みんなの顔が集まると自然と笑顔が生まれる。少しずつだが前向きに動いていっていることが実感できる。昔からよく知っている仲間のような不思議な感じ。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_5-1.jpg" alt="" title="" width="640" height="480" class="aligncenter size-full wp-image-292" />
<strong>＊一周忌法要並びに、命が恵まれたことに対しての感謝の気持ちの法要を勤修し、多くの方が参列された。</strong>

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<strong>第５回支援活動の報告</strong><br />
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今回の第５次（東北）支援活動は、震災発災から丸1年となる３月１１日に合わせて前日の１０日に現地入りをし、翌１１日に「東日本大震災犠牲者総追悼法要」を行なう計画を立てました。<br />
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東日本大震災から１年が経過しました。京都ネット第五次現地支援活動は、前回に続いて気仙沼の切通住宅に向かいました。今回は手作りのお食事を皆さんから頂戴し、こちらから皆さんへの「傾聴：けいちょう」というより、ボランティア活動という枠を超えて、親戚ぐるみのお付き合い……のような雰囲気になりました。　（参加メンバー談）<br />
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<strong>１日目</strong>　　参加メンバーすべてが新幹線で現地に向かう。京都駅を午前８時５２分に発ち、東京で東北新幹線に乗り継ぎ、一関駅には午後２時１４分着。
一関で予約しておいたマイクロバスを借り、今回は一関にほど近い平泉町の中尊寺へ少しだけ観光。国宝の金色堂を拝観し、気仙沼に向かう。午後６時、予定通りＪＲ気仙沼駅前の「かつらや旅館」に到着。その後、タクシーに分乗し切通仮設住宅に向かう。事前に仮設の皆さんから「今回は炊き出しとか何もしないでください、皆さんとゆっくりお喋りがしたい」と言って下さっていたので、今回はそのお言葉に甘え、支援物資や手土産といったものは何も持参せずに向かった。
切通仮設住宅は、現在２０世帯５４人の小規模な仮設住宅であり、皆の顔を知っているから、到着して１分も経たないうちに家族のような雰囲気になってしまった。何か、故郷に帰ってきたような不思議な感覚。<br />
仮設のご婦人の皆さんが用意してくださった食事をいただき、再会できた喜びの中に楽しい時間を過ごし、午後９時過ぎに仮設住宅を後にして旅館に戻った。
旅館に到着後、「宗教者災害救援ネットワーク」事務局長の、大阪大学教授：稲場圭信氏らと合流し、翌日の法要の打合せと今後の活動展開についてを話し合った後就寝。<br />
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<strong>２日目</strong>　　朝食後慌ただしく出発準備をし、午前８時に旅館を出発し現地へ。まずは、気仙沼市でも最も被害の大きい南気仙沼地区へ向かい、続いて鹿折地区へ。３月１１日という事で、いたるところに手を合わす人たちやお供えの花、線香の香りが漂う。<br />
「お魚いちば」で、&#8221;経済支援&#8221;のおみやげタイム。店内はボランティアの一行や観光客で混雑していた。午前１０時、仮設住宅に到着すると、昼食の準備をされておられて、美味しそうな匂いが部屋いっぱいに漂っていた。正午までは、皆さんとお喋りをしたりして過ごす。子どもたちはスタッフの若手メンバーとたこ揚げなどをして遊んでいた。<br />
お昼になり、ご婦人方が作って下さった昼食をいただき、１時前頃から法要に向けて荘厳壇の準備。午後１時半からご親族を亡くされた方への１周忌法要、そして命が恵まれたことに対しての感謝の気持ちの法要を勤修（記録写真があまり撮れなかった）、その後僧侶スタッフによるご法話を行なった。法話終了後は参加者全員が外に出て、地震発生時刻の午後２時４６分、街中に発災時刻を知らせる有線放送がスピーカーから流れる中、海の方角に向かって全員で黙とう。またこの日、気仙沼市内では、自治体が主催する追悼行事が気仙沼市総合体育館で、また天台宗の寺院では、比叡山延暦寺の座主が導師を勤める追悼法要が行われたが、仮設の皆さんは、誰一人そちらの法要には参拝されず、私たちが行った法要にお参りされた事が本当に嬉しかった。その後、また皆さんとのお喋り（傾聴なんて固苦しいものではなく）をしていると、あっという間に気仙沼を出発する時刻が近づいて来てしまった。午後５時過ぎ皆で記念撮影をして、お見送りを受けながら、切通仮設住宅を後にした。一関から東京までは新幹線。その先、当日中に京都まで帰れる新幹線はないので、東京を午後１１時に出発するＪＲ夜行バスにて、翌朝７時に帰郷した。<br />
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今回の活動は、参加したメンバーの一人から、ようやく発災当時の具体的な話をしていただけるようになったということを聞きました。持ち出せた物もほとんどない中、ある方は大切に持ち出したアルバムを、また発災当時燃え上がる気仙沼の街を写した写真などを見せていただきました。<br />
次回の私たちの活動は、６月３日～１０日の日程で、切通仮設住宅を拠点とした傾聴活動、そしてできればいまだ自治会活動が行われていない（どこからも支援の手がさしのべられていない）仮設住宅を紹介していただき、カフェ活動（お茶・菓子の接待をし、住民相互の親睦をはかり、自治会活動発足のお手伝いをおこなう）と按摩マッサージ指圧師国家資格所持者メンバーによる「マッサージの施術」を行う予定です。また、お参りの都合にもよりますが、７月末にはようやく福島県にも活動範囲を広げていく話も出てまいりました。「震災支援を続ける会」というボランティア団体の呼びかけにより、「サマーキャンプin裏磐梯」というイベントにおいて、原発の警戒区域から避難している福島県の小学生を対象とした活動のお手伝いをさせていただく予定です。<br />
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<strong>＊発災から１年が経過したが、いまだにこのような光景があちらこちらで見られる。</strong><br />
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_5-3.jpg" alt="" title="" width="448" height="297" class="aligncenter size-full wp-image-294" />
<strong>ご主人を亡くされたのだろうか、小さいお子さんとお母さんご両親の４名が、流された建物の前で静かに手を合わせておられる。</strong><br /><br />
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<strong>＊みんなの顔が集まると自然と笑顔が生まれる。少しずつだが前向きに動いていっていることが実感できる。昔からよく知っている仲間のような不思議な感じ。</strong><br />

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		<title>【2012年1月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク</title>
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		<pubDate>Fri, 24 Feb 2012 12:14:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[はな]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[＊枯れてしまった奇跡の一本松。再び葉を茂らせることはないが、その子孫が大切に育てられているという。将来きっと東北復興のシンボルとなることであろう。 第４回支援活動の報告 今回の第４次（東北）支援活動は、今までの週末を避けた日程とは違い、現地に休日（１月７日・８日）に訪れる計画にしました。それは、お仕事に就いておられる方や、子供たちとの交流も含め、前回お会いできなかった仮設住宅にお住まいの皆さんの顔を拝見したかったからです。現地での２日間の活動はその予想通りに若い世代の方や多くの子供たちとも会うことができました。 前回活動した気仙沼市の「切通仮設住宅」へ再度伺いました。というのも、前回の活動時において、住民の方々から「是非ともまた来てほしい」との強い要望があったことや、またメンバーの中にはメールで連絡を取り合い、絆を深めつつあることがご縁となり、お正月らしい行事を皆でしようということになりました。餅つきをし、そのつきたてのお餅で京都の白味噌雑煮の接待や、きな粉もち小餅を皆と一緒に作り食べること、湯豆腐の接待と、そして前回も好評だったマッサージの施術、そしてカラオケ大会などを行ないました。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― １日目～２日目　　京都教区教務所に集合後、活動備品をトラックに積込み、午前１０時に出発。往路の陸路隊は、２ｔトラックと７人乗りのミニバンに計７名が分乗し、雪の心配の少ない東京経由での東北入りとなった。途中、横浜付近で事故渋滞もあったが、移動途中の宿所（栃木県の那須塩原：参加メンバーの実家）で一泊し、翌日早朝に宿所のご両親が仮設住宅の皆さん宛にとご用意していただいた栃木県名産のイチゴ（とちおとめ）を積み込み出発。この日からは、計１２名（車３台）で東北道を一路北へ。その後岩手県のＪＲ一ノ関駅にて新幹線参加隊８名と合流し、今回活動するメンバー２０名全員（最年少は１才半から最高齢は７０才代と、老若男女混成隊）が集結した。その後、午後３時にトラックを含め計４台で気仙沼へ向かう。途中、通信カラオケ機器の受け渡しとセッティングのため、２名は活動場所の仮設住宅へ。残り１８名は、南気仙沼市街の被災地を視察した後、宿泊先の気仙沼プラザホテルに到着。当日の夕食は、ホテルにほど近い場所に、昨年末にオープンしたばかりの&#8221;復興屋台村 気仙沼横丁&#8221;にある、【男子厨房海の家】（民宿や飲食店を津波で流された男性３名が共同で経営されているお店）で気仙沼の味覚を堪能した。その後ホテルに帰り、翌日の活動の再確認ミーティング後就寝となった。往路の道中も、降雪はあったものの交通規制やアイスバーンに悩まされることがなかった事は、安全に移動する上で大変助かった。 ３日目　　活動初日。仮設住宅へ向かう前に、陸前高田市の「奇跡の一本松」に向かう。道中小雪が舞い、ところどころ路面が凍結していたが、午前７時頃には現地に到着。五山の送り火の「京都市」の行為について、陸前高田の方々に向けて一本松の前で謝罪の黙とうを行なった。午前８時過ぎには一旦ホテルへ戻り、朝食の後、仮設住宅に向けて出発。気温も０℃近い寒空の下、小雪が舞う中で厨房用のテントを張り、それに並行して餅つきの準備。ほどなく、京都の豆腐店「京とうふ藤野」から送られてきた絹ごし豆腐が到着。この日に湯豆腐も作る予定であったが、私たちのチームが作るお餅や白味噌雑煮に加えて、仮設住宅の皆さんが私たちのために作って下さった気仙沼の具沢山お雑煮とでお腹がいっぱいになり、湯豆腐作りは明日に持ち越しとなった。当日は土曜日であったため、若い世代のお父さんお母さん、それに子供たちも来て下さり、食事後の談話室は、陽が暮れ始めるまでボディケアとカラオケ大会で大盛り上がり。屋外では、仮設住宅の子どもたちも参加しての餅つきが行なわれていた。 午後５時半には本日の活動を終え、仮設住宅を後にしてホテルへ戻り、夕食をとる。その後午後８時頃からは、この近くに仮設店舗でスナックを再開された方がいるという話を聞きつけ、そのお店へお邪魔することとなった。ここでも楽しい時間を他のお客さんたちと共に過ごし、午後１０時には全員ホテルへ戻り就寝。 ４日目　　朝食後、津波で店を流されてしまった鮮魚店や食料品店の方々が共同で出店された昨年１２月１０日オープンの「さかなの駅」（気仙沼市水産地域振興組合）にておみやげタイムをとり、午前１０時に仮設住宅に到着。今日私たちは、昨日作れなかった湯豆腐だけを用意することとなった。というのも、仮設住宅の皆さんが昨日のお礼にと、豪華なお刺身の盛り合わせと各家庭手作りのお惣菜や漬け物を用意し振舞って下さった。もう食べきれない程の昼食（豪華お食事会）が終わり、昨日に引き続きまたまたカラオケ大会。今日はメンバーも参加し大いに歌った。談話室に来られない方の為に個々のお宅にボディケアマッサージの出張サービスも行なった。 午後２時頃から撤収作業を開始。撤収作業後には作業を手伝っていただいた皆さんと一緒に記念撮影。その後、次回も必ずここへくることを仮設住宅の皆さんと約束し、切通仮設住宅を離れる。 新幹線参加隊は一ノ関駅で別行動になるので、一ノ関駅に到着後、今回活動の解散式を行ない、新幹線参加隊は新幹線にて一足先に京都へ。また、陸路隊は約１０００ｋｍ先の京都を目指す。往路と同じく、那須塩原の宿所には、午後９時に到着し、一泊。 ５日目　　この日は首都圏での渋滞を考え、午前７時に宿所を出発。残す距離はおよそ７００ｋｍ。東北道の渋滞も都内（首都高速）の渋滞もほとんどなくスムーズに走っていたが、東名道の川崎で渋滞に巻き込まれるも、あとは無事に帰るだけなので気楽に運転ができた。そして京都教区教務所には予定より少し早く到着し、荷物の搬出後陸路隊の解散式を行い、午後６時に今回の活動は終了した。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 今回の活動は、仮設住宅の皆さんのところへお正月の行事をしに訪問したような感じでした。皆さんからは、仮設に移ってからは楽しい行事がほとんどなかったのに、お正月に餅つきやカラオケで楽しむことができるなんて思ってもみなかったと、本当に喜んでいただけました。みんなと大きい声を出して歌うことが私たちも含めてこれだけ楽しいことであり、住民相互の結束力を今まで以上に深めることができるのかを再認識することもできました。 次回の私たちの活動は、震災からちょうど１年目にあたる３月１０日～１２日の日程で、同じく切通仮設住宅において震災犠牲者の総追悼法要を浄土真宗の儀礼で行なうことを計画しています。顔なじみの方も多くなってきて、少しずつお悩みなどをお話しいただいていることから、ようやく住職らしいことができるのではないかと思っています。 東日本大震災にかかる今後の活動についても、切通仮設住宅が閉鎖されるまでは継続して支援していくことを話し合っています。この住宅が閉鎖されるのが３年後なのか５年後になるのかはわかりませんが、それまではここを拠点として気仙沼の支援活動を行なっていこうと思っています。 ＊餅をつく気配に気がついた子供たちは一斉に集まってきて出来たての餅をほおばる。子供たちは餅つきより食べるほうが好きみたい。 ＊仮設住宅の歌姫たち。この子たちはなんと童謡からＡＫＢ４８までみごとに歌いこなす。子供たちのかわいい歌声はみんなの心を癒す特効薬だと再確認できた。 ＊食料品の移動販売車。どんなにカラオケで盛り上がっていても、この車が来ると一時中断。仮設住宅に住んでいる人たちにとっては本当に有難い存在。 ＊「魚の駅」の壁に貼られた子供達の将来の夢。人を助ける仕事や、人の役に立てる立派な大人になりたいとの言葉が多く読んでとれる。 ＊食べきれないほどの料理が並ぶ昼食会。魚ももちろん美味しいが、それぞれのご家庭から持ってきていただいた惣菜やお漬物のおいしいこと！ ＊今回参加のスタッフと、撤収作業をお手伝いいただいた仮設住宅の皆さんとで記念撮影。]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-1.jpg" alt="" title="" width="640" height="426" class="aligncenter size-full wp-image-289" />
<strong>＊枯れてしまった奇跡の一本松。再び葉を茂らせることはないが、その子孫が大切に育てられているという。将来きっと東北復興のシンボルとなることであろう。</strong>
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<strong>第４回支援活動の報告</strong><br />
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今回の第４次（東北）支援活動は、今までの週末を避けた日程とは違い、現地に休日（１月７日・８日）に訪れる計画にしました。それは、お仕事に就いておられる方や、子供たちとの交流も含め、前回お会いできなかった仮設住宅にお住まいの皆さんの顔を拝見したかったからです。現地での２日間の活動はその予想通りに若い世代の方や多くの子供たちとも会うことができました。<br />
前回活動した気仙沼市の「切通仮設住宅」へ再度伺いました。というのも、前回の活動時において、住民の方々から「是非ともまた来てほしい」との強い要望があったことや、またメンバーの中にはメールで連絡を取り合い、絆を深めつつあることがご縁となり、お正月らしい行事を皆でしようということになりました。餅つきをし、そのつきたてのお餅で京都の白味噌雑煮の接待や、きな粉もち小餅を皆と一緒に作り食べること、湯豆腐の接待と、そして前回も好評だったマッサージの施術、そしてカラオケ大会などを行ないました。<br />
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<strong>１日目～２日目</strong>　　京都教区教務所に集合後、活動備品をトラックに積込み、午前１０時に出発。往路の陸路隊は、２ｔトラックと７人乗りのミニバンに計７名が分乗し、雪の心配の少ない東京経由での東北入りとなった。途中、横浜付近で事故渋滞もあったが、移動途中の宿所（栃木県の那須塩原：参加メンバーの実家）で一泊し、翌日早朝に宿所のご両親が仮設住宅の皆さん宛にとご用意していただいた栃木県名産のイチゴ（とちおとめ）を積み込み出発。この日からは、計１２名（車３台）で東北道を一路北へ。その後岩手県のＪＲ一ノ関駅にて新幹線参加隊８名と合流し、今回活動するメンバー２０名全員（最年少は１才半から最高齢は７０才代と、老若男女混成隊）が集結した。その後、午後３時にトラックを含め計４台で気仙沼へ向かう。途中、通信カラオケ機器の受け渡しとセッティングのため、２名は活動場所の仮設住宅へ。残り１８名は、南気仙沼市街の被災地を視察した後、宿泊先の気仙沼プラザホテルに到着。当日の夕食は、ホテルにほど近い場所に、昨年末にオープンしたばかりの&#8221;復興屋台村 気仙沼横丁&#8221;にある、【男子厨房海の家】（民宿や飲食店を津波で流された男性３名が共同で経営されているお店）で気仙沼の味覚を堪能した。その後ホテルに帰り、翌日の活動の再確認ミーティング後就寝となった。往路の道中も、降雪はあったものの交通規制やアイスバーンに悩まされることがなかった事は、安全に移動する上で大変助かった。<br />
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<strong>３日目</strong>　　活動初日。仮設住宅へ向かう前に、陸前高田市の「奇跡の一本松」に向かう。道中小雪が舞い、ところどころ路面が凍結していたが、午前７時頃には現地に到着。五山の送り火の「京都市」の行為について、陸前高田の方々に向けて一本松の前で謝罪の黙とうを行なった。午前８時過ぎには一旦ホテルへ戻り、朝食の後、仮設住宅に向けて出発。気温も０℃近い寒空の下、小雪が舞う中で厨房用のテントを張り、それに並行して餅つきの準備。ほどなく、京都の豆腐店「京とうふ藤野」から送られてきた絹ごし豆腐が到着。この日に湯豆腐も作る予定であったが、私たちのチームが作るお餅や白味噌雑煮に加えて、仮設住宅の皆さんが私たちのために作って下さった気仙沼の具沢山お雑煮とでお腹がいっぱいになり、湯豆腐作りは明日に持ち越しとなった。当日は土曜日であったため、若い世代のお父さんお母さん、それに子供たちも来て下さり、食事後の談話室は、陽が暮れ始めるまでボディケアとカラオケ大会で大盛り上がり。屋外では、仮設住宅の子どもたちも参加しての餅つきが行なわれていた。<br />
午後５時半には本日の活動を終え、仮設住宅を後にしてホテルへ戻り、夕食をとる。その後午後８時頃からは、この近くに仮設店舗でスナックを再開された方がいるという話を聞きつけ、そのお店へお邪魔することとなった。ここでも楽しい時間を他のお客さんたちと共に過ごし、午後１０時には全員ホテルへ戻り就寝。
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<strong>４日目</strong>　　朝食後、津波で店を流されてしまった鮮魚店や食料品店の方々が共同で出店された昨年１２月１０日オープンの「さかなの駅」（気仙沼市水産地域振興組合）にておみやげタイムをとり、午前１０時に仮設住宅に到着。今日私たちは、昨日作れなかった湯豆腐だけを用意することとなった。というのも、仮設住宅の皆さんが昨日のお礼にと、豪華なお刺身の盛り合わせと各家庭手作りのお惣菜や漬け物を用意し振舞って下さった。もう食べきれない程の昼食（豪華お食事会）が終わり、昨日に引き続きまたまたカラオケ大会。今日はメンバーも参加し大いに歌った。談話室に来られない方の為に個々のお宅にボディケアマッサージの出張サービスも行なった。<br />
午後２時頃から撤収作業を開始。撤収作業後には作業を手伝っていただいた皆さんと一緒に記念撮影。その後、次回も必ずここへくることを仮設住宅の皆さんと約束し、切通仮設住宅を離れる。
新幹線参加隊は一ノ関駅で別行動になるので、一ノ関駅に到着後、今回活動の解散式を行ない、新幹線参加隊は新幹線にて一足先に京都へ。また、陸路隊は約１０００ｋｍ先の京都を目指す。往路と同じく、那須塩原の宿所には、午後９時に到着し、一泊。

<strong>５日目</strong>　　この日は首都圏での渋滞を考え、午前７時に宿所を出発。残す距離はおよそ７００ｋｍ。東北道の渋滞も都内（首都高速）の渋滞もほとんどなくスムーズに走っていたが、東名道の川崎で渋滞に巻き込まれるも、あとは無事に帰るだけなので気楽に運転ができた。そして京都教区教務所には予定より少し早く到着し、荷物の搬出後陸路隊の解散式を行い、午後６時に今回の活動は終了した。<br />
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今回の活動は、仮設住宅の皆さんのところへお正月の行事をしに訪問したような感じでした。皆さんからは、仮設に移ってからは楽しい行事がほとんどなかったのに、お正月に餅つきやカラオケで楽しむことができるなんて思ってもみなかったと、本当に喜んでいただけました。みんなと大きい声を出して歌うことが私たちも含めてこれだけ楽しいことであり、住民相互の結束力を今まで以上に深めることができるのかを再認識することもできました。<br />
次回の私たちの活動は、震災からちょうど１年目にあたる３月１０日～１２日の日程で、同じく切通仮設住宅において震災犠牲者の総追悼法要を浄土真宗の儀礼で行なうことを計画しています。顔なじみの方も多くなってきて、少しずつお悩みなどをお話しいただいていることから、ようやく住職らしいことができるのではないかと思っています。<br />
東日本大震災にかかる今後の活動についても、切通仮設住宅が閉鎖されるまでは継続して支援していくことを話し合っています。この住宅が閉鎖されるのが３年後なのか５年後になるのかはわかりませんが、それまではここを拠点として気仙沼の支援活動を行なっていこうと思っています。<br />
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-2.jpg" alt="" title="" width="448" height="299" class="aligncenter size-full wp-image-283" />
<strong>＊餅をつく気配に気がついた子供たちは一斉に集まってきて出来たての餅をほおばる。子供たちは餅つきより食べるほうが好きみたい。</strong>
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-3.jpg" alt="" title="" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-284" />
<strong>＊仮設住宅の歌姫たち。この子たちはなんと童謡からＡＫＢ４８までみごとに歌いこなす。子供たちのかわいい歌声はみんなの心を癒す特効薬だと再確認できた。</strong>
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-4.jpg" alt="" title="" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-285" />
<strong>＊食料品の移動販売車。どんなにカラオケで盛り上がっていても、この車が来ると一時中断。仮設住宅に住んでいる人たちにとっては本当に有難い存在。</strong>
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-5.jpg" alt="" title="" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-286" />
<strong>＊「魚の駅」の壁に貼られた子供達の将来の夢。人を助ける仕事や、人の役に立てる立派な大人になりたいとの言葉が多く読んでとれる。</strong>
<br /><br />
<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-6.jpg" alt="" title="s_4-6" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-287" />
<strong>＊食べきれないほどの料理が並ぶ昼食会。魚ももちろん美味しいが、それぞれのご家庭から持ってきていただいた惣菜やお漬物のおいしいこと！</strong>
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2013/02/s_4-7.jpg" alt="" title="" width="448" height="336" class="aligncenter size-full wp-image-288" />
<strong>＊今回参加のスタッフと、撤収作業をお手伝いいただいた仮設住宅の皆さんとで記念撮影。</strong>]]></content:encoded>
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		<title>【2011年10月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク</title>
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		<pubDate>Fri, 18 Nov 2011 07:57:12 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[あじ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[現地支援活動報告　（報告者：事務局　中原　順章） 第２回目の活動から約２ヵ月が経過した１０月１７日から５日間の行程で活動を行なってきました。 前回の報告では出発から帰着までの行程をある程度詳細に報告しましたが、今回は移動に関しては概要とし、 ボランティア活動の報告を主にしたいと思います。 今回の活動は第１回目の活動を行った宮城県気仙沼市において、総勢１２名で３ヵ所の仮設住宅「切通仮設・松崎柳沢西仮設・松崎萱仮設」 全６０世帯で「カフェ活動」（お茶・菓子接待）と按摩マッサージ指圧師国家資格所持者による「マッサージの施術」そして 「日帰り温泉へのご招待」を行い、併せて上記仮設住宅の全世帯にお米（１世帯あたり１５kg）・京都の和菓子・漬物・使い捨てカイロ・ 入浴剤などをお渡しいたしました。 以下ボランティアの活動報告書抜粋 ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ １日目～２日目　　京都教区教務所にてワンボックスバン２台に支援物資を満載し、午前１０時に出発。名神・北陸道を経由し、新潟別院で一泊。 翌日は磐越道・東北道を経て岩手県の新幹線一関駅で同日朝に京都を出発した新幹線参加者５名と合流。 明日の活動場所である切通仮設住宅の下見を行なった後、今回初めて参加するメンバーのために気仙沼市鹿折（ししおり）地区を視察し、 今回の宿所である気仙沼プラザホテルに到着した。 ３日目　　午前８時半に宿所を出発し、１５分ほどで気仙沼市西部に位置する切通仮設住宅に到着。この仮設住宅はすでに自治会が発足しており、 住民相互のコミュニケーションもあってか、私たちが到着した途端たくさんの方に出迎えていただいた。すぐにマッサージ担当スタッフ（４名） は談話室（集会所）で施術を開始し、その他のスタッフ（８名）は厨房用テントの設営後、直ちにお茶の接待を開始すると共に支援物資（お米・ 京菓子・漬物等）を分配する作業に取り掛かった。 * 初参加のマッサージ担当スタッフ４名による按摩マッサージの施術。後には順番を待つ人がお茶とお菓子を食べながら談笑されている。 撤収作業完了後、仮設住宅の方々が今回の活動のお礼にと【星影活動も少し落ち着いてきた午前１１時頃、 マイクロバスで仮設住宅の方たちを日帰り温泉入浴に招待し、気仙沼プラザホテル内の温泉へ向かう。途中、 廃校になった元気仙沼市月立小学校へ立ち寄り昼食をとる。この学校跡地には、「八瀬：森の学校」と「東北＠連帯ＳＷＴＪ」 の２つのボランティア団体が半常駐しており、八瀬：森の学校の方は、仮設住宅におられる方たちを招待し、 手打ち蕎麦と秋刀魚の塩焼きを振舞っておられ、私たちもお相伴に与った。昼食後、招待した皆さんにゆっくりと温泉に入っていただいた。 マッサージ担当スタッフも一緒に同行し、介添えを必要とする方のサポートも行なった。入浴後は仮設住宅に戻り、マッサージ施術を再開し、 すべての世帯に今回用意した支援物資を配布した。 撤収作業完了後、 仮設住宅の方々が今回の活動のお礼にと【星影のワルツ】を合唱していただき、和やかな雰囲気の中仮設住宅を後にした。 * 日帰り温泉に招待した切通仮設住宅の皆さんとメンバー。大きなお風呂にゆっくりと入れるなんて思っていなかった！と大好評でした。 * 切通仮設住宅の最後の方の施術が終わったところ。体のコリがほぐれるとみんなの顔からは自然と笑顔がこぼれ出てくる。 ４日目～５日目　　宿所を午前８時半に出発。気仙沼市南東部に位置する松崎柳沢西仮設住宅と、 それに隣接する松崎萱仮設住宅には２０分ほどで到着。この日は半数のメンバーが当日午後の新幹線で帰京しなければならないことと、 日帰り温泉の招待はないことから、今日の活動は午後１時過ぎまでとなった。こちらの仮設住宅は、昨日の仮設住宅とは違い、 自治会がまだ発足しておらず、住民相互の交流もほとんどないことから、現地社協ＶＣのスタッフ数名も同行し、 私たちの活動のサポートをして下さった。事前にＶＣスタッフが今日の活動の案内チラシを配布していただいたにも関わらず、 準備の段階では談話室（集会所）を見に来られる方がほとんどなく心配していたが、 社協ＶＣスタッフが各家庭に声掛けをしていただいたおかげで徐々に人が集まりだしひと安心。しかし、 住民同士のコミュニケーションがとれておらず、 マッサージを受けられた方は談話室に残って私たちが用意したお茶やお菓子をいただかれることもなく部屋に帰られる方も多く、 昨日の場合と違い、私たちが撤収作業をしている時も、 仮設住宅を離れる際にも見送っていただける人がほとんどおられなかったのは少し寂しい気がした。 午後１時半に仮設住宅を離れ、新幹線組（７名）を新幹線一関駅に送り届け、行きの行程と同じく新潟別院で一泊し、翌日京都に無事帰着した。 今までは宿泊場所を無償で提供していただけるところを選んでいましたが、今回は被災地支援の一環として地元資本のホテルに宿泊しました。 この件に関してはいろいろ賛否のご意見があると思いますが、まだ震災の傷跡が生々しく残る気仙沼港には観光船の就航も再開しており、 旅行者も思う以上に多く見られました。これを見て「被災地に観光旅行に行くなんて不謹慎だ」と思われる方もおられると思いますが、 被災された地元の方は先行きの見えない不安の中、復興に向けて一生懸命頑張っておられます。 長期化する現実の重みに耐えかねておられることなどを聞いていると、ボランティア活動であれ観光旅行であれ、私たちが実際に現地を訪れ、 その現実を自分の目で見ると同時に地域の復興に役立つこと（地元にお金を落とすこと）も立派な支援活動のひとつになると私は思います。 第４日目の松崎地区での活動について、撤収時に現地社協ＶＣのスタッフから、「東北の方は一旦心が通い合うと義理人情に厚い方が多いが、 地方独特の閉鎖性というか、特に年配者は知らない人の世話になったり、施しを受けていいのかという思いを持たれる方が多い」 という話を聞きました。その話を聞いた時に、「切通仮設住宅」での活動と「松崎地区の仮設住宅」とのギャップも理解できました。また、 今回から実際に放射性物質が私たちの活動範囲にどれだけ飛散しているのかを知るために、「放射線量計」を持っていきました。 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<strong>現地支援活動報告　（報告者：事務局　中原　順章）</strong><br />
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第２回目の活動から約２ヵ月が経過した１０月１７日から５日間の行程で活動を行なってきました。 前回の報告では出発から帰着までの行程をある程度詳細に報告しましたが、今回は移動に関しては概要とし、 ボランティア活動の報告を主にしたいと思います。<br />
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今回の活動は第１回目の活動を行った宮城県気仙沼市において、総勢１２名で３ヵ所の仮設住宅「切通仮設・松崎柳沢西仮設・松崎萱仮設」 全６０世帯で「カフェ活動」（お茶・菓子接待）と按摩マッサージ指圧師国家資格所持者による「マッサージの施術」そして 「日帰り温泉へのご招待」を行い、併せて上記仮設住宅の全世帯にお米（１世帯あたり１５kg）・京都の和菓子・漬物・使い捨てカイロ・ 入浴剤などをお渡しいたしました。<br />
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以下ボランティアの活動報告書抜粋
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<strong>１日目～２日目</strong>　　京都教区教務所にてワンボックスバン２台に支援物資を満載し、午前１０時に出発。名神・北陸道を経由し、新潟別院で一泊。 翌日は磐越道・東北道を経て岩手県の新幹線一関駅で同日朝に京都を出発した新幹線参加者５名と合流。 明日の活動場所である切通仮設住宅の下見を行なった後、今回初めて参加するメンバーのために気仙沼市鹿折（ししおり）地区を視察し、 今回の宿所である気仙沼プラザホテルに到着した。
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<strong>３日目</strong>　　午前８時半に宿所を出発し、１５分ほどで気仙沼市西部に位置する切通仮設住宅に到着。この仮設住宅はすでに自治会が発足しており、 住民相互のコミュニケーションもあってか、私たちが到着した途端たくさんの方に出迎えていただいた。すぐにマッサージ担当スタッフ（４名） は談話室（集会所）で施術を開始し、その他のスタッフ（８名）は厨房用テントの設営後、直ちにお茶の接待を開始すると共に支援物資（お米・ 京菓子・漬物等）を分配する作業に取り掛かった。<br />

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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/120803_11.jpg" alt="" title="" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-160" />
<strong>* 初参加のマッサージ担当スタッフ４名による按摩マッサージの施術。後には順番を待つ人がお茶とお菓子を食べながら談笑されている。</strong>

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撤収作業完了後、仮設住宅の方々が今回の活動のお礼にと【星影活動も少し落ち着いてきた午前１１時頃、 マイクロバスで仮設住宅の方たちを日帰り温泉入浴に招待し、気仙沼プラザホテル内の温泉へ向かう。途中、 廃校になった元気仙沼市月立小学校へ立ち寄り昼食をとる。この学校跡地には、「八瀬：森の学校」と「東北＠連帯ＳＷＴＪ」 の２つのボランティア団体が半常駐しており、八瀬：森の学校の方は、仮設住宅におられる方たちを招待し、 手打ち蕎麦と秋刀魚の塩焼きを振舞っておられ、私たちもお相伴に与った。昼食後、招待した皆さんにゆっくりと温泉に入っていただいた。 マッサージ担当スタッフも一緒に同行し、介添えを必要とする方のサポートも行なった。入浴後は仮設住宅に戻り、マッサージ施術を再開し、 すべての世帯に今回用意した支援物資を配布した。<br />
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撤収作業完了後、 仮設住宅の方々が今回の活動のお礼にと【星影のワルツ】を合唱していただき、和やかな雰囲気の中仮設住宅を後にした。<br />

 
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<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/120803_21.jpg" alt="" title="" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-162" />
<strong>* 日帰り温泉に招待した切通仮設住宅の皆さんとメンバー。大きなお風呂にゆっくりと入れるなんて思っていなかった！と大好評でした。</strong><br />

 
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<strong>* 切通仮設住宅の最後の方の施術が終わったところ。体のコリがほぐれるとみんなの顔からは自然と笑顔がこぼれ出てくる。</strong><br />

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<strong>４日目～５日目</strong>　　宿所を午前８時半に出発。気仙沼市南東部に位置する松崎柳沢西仮設住宅と、 それに隣接する松崎萱仮設住宅には２０分ほどで到着。この日は半数のメンバーが当日午後の新幹線で帰京しなければならないことと、 日帰り温泉の招待はないことから、今日の活動は午後１時過ぎまでとなった。こちらの仮設住宅は、昨日の仮設住宅とは違い、 自治会がまだ発足しておらず、住民相互の交流もほとんどないことから、現地社協ＶＣのスタッフ数名も同行し、 私たちの活動のサポートをして下さった。事前にＶＣスタッフが今日の活動の案内チラシを配布していただいたにも関わらず、 準備の段階では談話室（集会所）を見に来られる方がほとんどなく心配していたが、 社協ＶＣスタッフが各家庭に声掛けをしていただいたおかげで徐々に人が集まりだしひと安心。しかし、 住民同士のコミュニケーションがとれておらず、 マッサージを受けられた方は談話室に残って私たちが用意したお茶やお菓子をいただかれることもなく部屋に帰られる方も多く、 昨日の場合と違い、私たちが撤収作業をしている時も、 仮設住宅を離れる際にも見送っていただける人がほとんどおられなかったのは少し寂しい気がした。<br />
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午後１時半に仮設住宅を離れ、新幹線組（７名）を新幹線一関駅に送り届け、行きの行程と同じく新潟別院で一泊し、翌日京都に無事帰着した。<br />
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今までは宿泊場所を無償で提供していただけるところを選んでいましたが、今回は被災地支援の一環として地元資本のホテルに宿泊しました。 この件に関してはいろいろ賛否のご意見があると思いますが、まだ震災の傷跡が生々しく残る気仙沼港には観光船の就航も再開しており、 旅行者も思う以上に多く見られました。これを見て「被災地に観光旅行に行くなんて不謹慎だ」と思われる方もおられると思いますが、 被災された地元の方は先行きの見えない不安の中、復興に向けて一生懸命頑張っておられます。 長期化する現実の重みに耐えかねておられることなどを聞いていると、ボランティア活動であれ観光旅行であれ、私たちが実際に現地を訪れ、 その現実を自分の目で見ると同時に地域の復興に役立つこと（地元にお金を落とすこと）も立派な支援活動のひとつになると私は思います。<br />
<br />
第４日目の松崎地区での活動について、撤収時に現地社協ＶＣのスタッフから、「東北の方は一旦心が通い合うと義理人情に厚い方が多いが、 地方独特の閉鎖性というか、特に年配者は知らない人の世話になったり、施しを受けていいのかという思いを持たれる方が多い」 という話を聞きました。その話を聞いた時に、「切通仮設住宅」での活動と「松崎地区の仮設住宅」とのギャップも理解できました。また、 今回から実際に放射性物質が私たちの活動範囲にどれだけ飛散しているのかを知るために、「放射線量計」を持っていきました。 基準の目安として保福寺の本堂で放射線量を計ってみると、０.０３～０.０４マイクロシーベルト毎時という数値でした。今回の行程中、 放射線量が最も高かった所はやはり福島県でした。郡山市～二本松市（原発から６０ｋｍ以上離れている）の高速道路の車中でさえ、 ０.９マイクロシーベルト毎時以上（移動中の車中での計測ですから、 参考程度とお考えください）が検出され、線量計からは常に警告音がピピピピ……と発せられていました。 この数値は京都で計測した数値の３０倍以上の値です。これがどの程度人体に影響するのかは私にはわかりませんが、 病院のレントゲン室などでよく見かかる「放射線管理区域」の基準は０.６マイクロシーベルト毎時以上ですから・・・・。<br />

 <br />
<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/120803_4.jpg" alt="" title="" width="448" height="336" class="aligncenter size-full wp-image-164" />
<strong>* 福島県二本松市の東北道上で計測した放射線量は0.908 マイクロシーベルト毎時を指している。線量計からは警告音が鳴り響いている。 </strong> <br />

 

 <br />

＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br />

  <br />

次回の私たちの活動は、お正月明けに同じく気仙沼市内の仮設住宅にいる子供たちを集めて「たこあげ」と「お雑煮の炊き出し」を考えています。 また、台風１２号による被害についても、奈良県五條市宇井地区にある真宗のご門徒さまだけの集落全１０戸の支援活動を予定していますが、 お手次ぎのご寺院を含め全戸ご自宅から避難されていることから、支援の要請がいまだない状況です。<br />
<br />
一日も早い被災地の復興を願いつつ活動を続けていきたいと思いますので、益々のご支援をお願いいたします。<br />
<br />
<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/120803_5.jpg" alt="" title="" width="448" height="336" class="aligncenter size-full wp-image-165" />
<strong>* 当日の朝、気仙沼港に水揚げされたさんま。炭火で焼いて熱々を頂きました。新鮮なさんまって口の先が黄色って知ってました？</strong> 　<br />　　

<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/120803_6.jpg" alt="" title="" width="448" height="298" class="aligncenter size-full wp-image-166" />
<strong>* 被災者の一人が見せてくれた仮設住宅の内部。プレハブのため壁や天井には断熱材もなく、壁にダンボールを貼り寒さを乗り切るという。</strong> ]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【2011年8月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク</title>
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		<pubDate>Sat, 17 Sep 2011 05:22:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[あじ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[現地支援活動報告 第２回目の活動として８月２２日から足掛け７日間、全行程２,７１５ｋｍを走りボランティア活動を行ってきました。 今回の拠点は、岩手県花巻市東和町にある旧成島小学校跡地に設置された「NPO法人ジッポウ」が運営する「東和ボランティアの家」を拠点とし、岩手県大槌町と、宮城県気仙沼市において活動をしてきました。 前回の活動では、支援物資の輸送、瓦礫の撤去作業、食事の炊き出し、遺体安置所と仮土葬場での読経を行いましたが、今回は第３回支援活動の打合せと、現地の社会福祉協議会が募集するボランティア活動に参加してきました。 当初予定では仮設住宅への入居のための日用品・生活用品をセット詰にしてお渡しする計画でしたが、現地での需要が思うより少ないとの情報から、急遽上記計画に変更いたしました。 以下ボランティアの活動報告書抜粋 ＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝ このたびは京都教区寺族青年会有志による第２回目の被災地支援活動に際し、心温まる支援金等のご提供を賜り、心から御礼申しあげます お陰様で今回も全員無事に活動を終え、予定通り帰京することができました。 ●以下はメンバーがどのような活動を行ったのかを記述いたします。 第１日目（２２日)]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<center><img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/2_1.jpg" alt="" title="" width="460" height="345" class="alignnone size-full wp-image-153" /></center>
<p style="margin-top:1em;"></p>
<strong>現地支援活動報告</strong><br />
<br />
第２回目の活動として８月２２日から足掛け７日間、全行程２,７１５ｋｍを走りボランティア活動を行ってきました。<br />
<br />
今回の拠点は、岩手県花巻市東和町にある旧成島小学校跡地に設置された「NPO法人ジッポウ」が運営する「東和ボランティアの家」を拠点とし、岩手県大槌町と、宮城県気仙沼市において活動をしてきました。<br />
<br />
前回の活動では、支援物資の輸送、瓦礫の撤去作業、食事の炊き出し、遺体安置所と仮土葬場での読経を行いましたが、今回は第３回支援活動の打合せと、現地の社会福祉協議会が募集するボランティア活動に参加してきました。<br />
<br />
当初予定では仮設住宅への入居のための日用品・生活用品をセット詰にしてお渡しする計画でしたが、現地での需要が思うより少ないとの情報から、急遽上記計画に変更いたしました。<br />
<br />
以下ボランティアの活動報告書抜粋<br />
<br />
＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br />
<br />
このたびは京都教区寺族青年会有志による第２回目の被災地支援活動に際し、心温まる支援金等のご提供を賜り、心から御礼申しあげます お陰様で今回も全員無事に活動を終え、予定通り帰京することができました。<br />
<br />
●以下はメンバーがどのような活動を行ったのかを記述いたします。<br />
<br />
<strong>第１日目（２２日)</strong><br />
<br />

<<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/2_2.jpg" alt="" title="" width="227" height="170" class="alignleft size-full wp-image-154" />

午後９時に本願寺聞法会館に今回初日より参加するメンバー４人（北條・中原・玉井・北條jr） が集合し、出発前のミーティング後、午後９時３０分に出発しました。<br />
<br />
今回は天気予報を見ても期間中は晴天が見込めず、悪くいくとボランティア活動ができずに帰着しなければならないことも想定しての出発でした。出発後しばらくして雨が降り始め、９５０ｋｍ先の岩手県花巻市東和町の拠点までほとんど雨の中の移動になりました。<br />
<br />
<strong>第２日目（２３日）</strong><br />
<br />
トイレ・食事休憩のみで、「東和ボランティアの家」に午前１０時半に到着。この日は、時間的にも被災地での活動は行えないことから、拠点での雑務（事務所、宿泊部屋の掃除・寝具シーツ類の洗濯・備品の整理）を行ない、雑務が一段落した午後６時頃に近隣の東和温泉（スーパー銭湯）にて夕食兼入浴をいたしました。<br />
<br />
この東和温泉には、&#8221;浄土真宗ボランティア割引&#8221;なる制度があり、入浴料と食事のセットでなんと９００円！！充分その価値はありました。夜は、８月１０日から活動を続けていた北豊教区メンバーの活動反省会・交流座談会に参加し、明日以降活動を行う大槌町、気仙沼市の状況などを報告いただきました。<br />
<br />
<strong>第３日目（２４日）</strong><br />
<br />

<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/2_3.jpg" alt="" title="" width="300" height="225" class="alignright size-full wp-image-155" />

昨夜の天気予報通り内陸部は早朝から本降り。しかし、沿岸部の降水確率は低いようなので、大槌町社協ＶＣ（ボランティアセンター）での活動が可能と判断し、午前７時に拠点を出発し、大槌町社協ＶＣに向かいました。<br />
<br />
約２時間後に到着した頃までは小雨が降っていましたが、作業現場に向かう頃には雨もあがり薄日が差すほどにまで回復してきました。この大槌町は、町長をはじめ、役場の方が多数亡くなられ、自治体が機能しなくなったことから、岩手、宮城両県の被災地の中でも最も復興が遅れている町と言われています。<br />
<br />

<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/2_4.jpg" alt="" title="" width="300" height="225" class="alignleft size-full wp-image-156" />

私たちがこの日作業を行った大槌町の安渡（あんど）地区は、津波による犠牲者が他の地区より多く、自衛隊の撤収期限直前まで行方不明者の捜索活動が続けられていた地区だと聞きました。その状況は、 住宅は基礎部分が残るのみで、鉄道の線路は枕木ごと流されたのか、鉄橋は橋脚だけが残り、 さらに防潮堤の水門の大きな鉄扉が約３００ｍほど陸地の方へ流されるといった悲惨な光景でした。 その光景を見ながら他のボランティアチームと共に、午後３時まで住居基礎部分の汚泥除去作業を行いました。<br />
<br />
その作業は４５分間作業を行い、１５分間休憩の繰り返しで、常に水分補給をしなければならないほどの作業でした。 作業中、多くの日用品や衣類といった生活用品など、あらゆる種類の品物が泥の中から掘り出されます。名前の確認できるものや貴重品、思い出の品や現金などは必ずＶＣに届けなければなりません。また、作業現場の周辺には、亡くなった方へ供えられたと思われるお花があちらこちらに見られます。作業終了後は、隣町の釜石市合同庁舎にて、災害派遣従事証明書の発行を受けに行き、釜石市内の被災現場を視察しました。<br />
<br />
市内中心部（新日鉄釜石製鉄所より沿岸部）では予想通り今もなお信号が点灯していない交差点が数多くあり、警官による交通整理も今も見られます。午後５時頃に現地を離れ午後７時頃東和町の拠点に帰着後、東和温泉で入浴と食事をし、１０時半に就寝しました。<br />
<br />
<strong>第４日目（２５日）</strong><br />
<br />
当日の天気予報も内陸部は雨で沿岸南部は曇り。気仙沼での活動を行います。<br />
<br />
午前６時半に拠点を出発し、遠野市から陸前高田市を経由して気仙沼へ行くルートを選び、気仙沼社協ＶＣ到着は８時１５分でした。気仙沼社協ＶＣでのボランティアの登録方法は、他のＶＣとは少し変わっており、ボランティア活動が可能か否かは、ボランティア参加者と、依頼される作業内容が合致することが必要とされます。<br />
<br />
全体ミーティングで「マッチング」（資格、特技、希望する作業内容等と、依頼された作業との適性確認）が行なわれ、私たちのチームは四人一組での作業を希望されているところに決定しました。その作業は、一階天井部分まで水没した酒店からの依頼で、避難時に使用していたアウトドア用テントなどの撤収作業でした。約１時間程度で作業は終了し、その後、この酒店のおばあちゃんが作った手作りのしそジュースを頂き、被災時の状況やその後の暮らしなどを聞かせていただいた後に次の作業現場へ移動しました。<br />
<br />
<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/2_5.jpg" alt="" title="" width="300" height="225" class="alignright size-full wp-image-157" />

次の作業は前回、地元の方から『まだ当分は危ないから近寄らない方が良い』と言われた、 津波の後の大火災で街中が灰燼と化した気仙沼市鹿折（ししおり）地区付近の民家の草刈り作業でした。 放射性物質の影響も気になりますが、そんなことは言っていられません。その後、地元気仙沼のボランティアグループ 「ゲットバックス」の渡辺氏と気仙沼社協ＶＣ地域支援部門担当者と打ち合わせを行ない、その後第３回支援活動を予定している 「気仙沼プラザホテル」へ向かい、ホテルの責任者と次回活動について打合せを行なった後、気仙沼を後にしました。<br />
<br />
その後、４名のメンバー中、３名（北條・玉井・北條jr）が２５日の新幹線で帰京し、新たに１名（土橋）が合流するため、ＪＲ新幹線一関駅へ向かいました。帰京する３名とはそこで別れ、新たに合流した１名と共に２名で東和町の拠点に午後６時半に到着し、本日の活動を終えました。<br />
<br />
<strong>第５日目（２６日）</strong><br />
<br />
一昨日と同様、大槌町でのボランティア作業に向かいました。<br />
<br />
午前７時に東和拠点を出発。大槌町社協ＶＣに向かい午前８時半に到着。午前９時半～午後３時まで、一昨日と同じ安渡地区にて、岡山県の大学生ボランティアチームと共に、住居基礎部分の汚泥除去作業を行ないました。汚泥の中からはおびただしい量の硬貨やカード類、小学校の教科書やノート類、未開封の洋酒の瓶や日常の生活用品などが次々と掘り出され、複雑な思いの中での作業になりました。<br />
<br />
作業終了後、ＶＣで報告書を提出し大槌町を後にしました。<br />
<br />
<strong>第６・７日目（２７・２８日）</strong><br />
<br />
２７日は一日かけて岩手県から富山県まで約６５０キロを移動するだけです。<br />
<br />
東和の拠点を午前９時半に出発し、釜石道～東北道～磐越道～北陸道の各高速道路を経て、富山県の宿所には午後６時頃に到着しました。というのも、前回の帰路のスケジュールもそうでしたが、被災地から京都へ直帰するには体力的にも厳しいことから、京都へ帰る道程で必ず途中で１泊し、余裕を持ってのスケジュールとしました。そして翌２８日の午後、京都に無事帰着しました。<br />
<br />
＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝＝<br />
<br />
今回の活動を通じて感じたことですが、前回５月の活動から３ヶ月が経過した被災地の状況は、復興の足音は少しずつ大きくなってきているとはいえ、私が見てきた限りでは、少なくとも岩手、宮城各県の津波被害を受けた沿岸地域のガレキはまだまだ手付かずの状態のところもたくさんあり、特に港湾周辺の商店街などでは残念ながら大きな変化は見られませんでした。<br />
<br />
前回の報告にも書いたことですが、京都で情報収集をしても、実際に現地へ行かなければわからなかったことも多く、また、こちらで読む新聞等の情報もあまりアテにならないことも感じました。ましてや警察による行方不明者の捜索もまだまだ続いています。<br />
<br />
この報告書を作成している日現在でも死亡が確認された方の総数は１万５７６９人、行方不明の方はいまだに４２２７人もおられます。<br />
<br />
ただ、重機やダンプが巻き上げる砂ボコリは今も凄いですが、被災地全体を覆っていた腐敗臭はほとんど気にならないようになっていました。<br />
<br />
―――――――――――――――――――――――――――――――――――<br />
<br />
私たちが今後おこなっていく活動は、物資の提供や労働力での支援から仮設住宅入居者の直接支援に移っていく予定です。<br />
<br />
次回活動は１０月１７日から宮城県気仙沼市を中心にして仮設住宅に移られた方々に、日々のストレスを少しでも軽減してもらおうと、仮設住宅に入居されているお年よりの方たちを中心にマイクロバスで市内の温泉地へ日帰り入浴に招待することと、今後必要になってくる自治活動をより活発なものにすることを目的とし、住民相互の親睦をはかるために、仮設住宅に無料のテントカフェ（お茶、コーヒーなどの飲み物や軽食と、京都から持参する特産品や和菓子を食べて和んでいただく）を開設し支援していく予定です。<br />
<br />
お盆参りの時に、「義援金として慈善団体に振り込むより、お寺に託すほうがどのように活用されているのかがわかるからうれしい」とお話いただいたことがありました。私たちの活動にご理解・ご協力いただけていることに対し、本当に嬉しい思いでいっぱいです。被災地の支援は今年で終わるわけではありません。私たちのチームは少なくとも今後数年は支援していく予定です。<br />
<br />
①岩手県の中でも最も復興が遅れている町のひとつであるにも関わらず、この日大槌町でボランティアに従事した人数はたったの４７名。<br />
<br />
②墓石が倒壊したままの墓地に犠牲者の塔婆が立っている。その向こうには大槌町長死亡に伴う新町長選挙用ポスターの看板が見える。<br />
<br />
③足元から向こうは枕木を残して線路が引きちぎられた三陸鉄道の線路。ここに再び線路が敷かれるのはいつになるのだろうか。<br />
<br />
④大槌川にかかる橋。欄干部分は津波の影響ですべてが海側から内陸側に曲げられている。あらためて津波の怖しさが思い知らされる。<br />
<br />
⑤岩手県釜石港の岸壁に乗り上げたパナマ船籍の貨物船「アジアシンフォニー号」８月１８日にようやく撤去の見通しがついたという。<br />
<br />
⑥地盤沈下の影響か？この日も釜石港の魚市場は水没したままである。以前見られた水揚げ時の活気もセリの声もここにはない。<br />
<br />
⑦街全体が焦土と化した気仙沼市鹿折地区の歩道橋。中央にはボランティアが残したのだろうか、寄せ書きされた日の丸が見える。<br />
<br />
⑧気仙沼漁港で被災した大型漁船のそばには、震災復興のシンボルである「ひまわり」が歩道の割れ目から力強く咲いていた。 ]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>【2011年5月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク</title>
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		<pubDate>Sun, 12 Jun 2011 02:38:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[あじ]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[サポートメンバーの活動ご紹介]]></category>

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		<description><![CDATA[現地支援活動報告（報告者：事務局　北條悟） &#160; 　浄土真宗本願寺派京都教区では、現地支援の準備を整え、５月２３日（月）～２７日（金）の５日間の日程（トラックでの陸路往復の為、 現地での活動は３日間）で教区の寺族青年の有志が中心となって９名のメンバーで現地への災害救援のボランティアを行なった。 &#160; 　教区内各団体・個人からの現地活動支援金も予算を軽くオーバーし、次回へのプール金となりうる程にまで集まり、 教区寺族婦人会連盟からの呼び掛けにより、２トンロングのトラックに物資を満載するほどの救援物資を積み込んで京都を出発した。 &#160; 　尚、メンバー中２名は、日本エンディングサポート協会に登録している　淨光寺住職の北條と保福寺住職の中原である。 &#160; 【活動初日】は、二隊に別れて…。 &#160; 　・東松島市・石巻市に於いて、トラックにて積載してきた救援物資を必要に応じて提供する作業 　（物資は、米・野菜・バナナ・生活用品・土のう袋等） &#160; 　・事前登録しておいた東松島市災害ボランティアセンター指示により、津波で一階部分を流された家屋の泥かき・ 家財道具の搬出 　仙台に戻り、京都市内の小学校から託された、 児童１０００人によって制作された１羽１羽にメッセージの入った千羽鶴を仙台市内の小学校に届けた。 &#160; 　【活動２日目】は、気仙沼市の本吉広域防災センター避難所（避難者約１００名）と近隣の松岩小学校避難所（避難者約４０名） に於いて炊き出しを行なった。 　特に、防災センターでは、この時点でも尚毎日の配食がおにぎりやカップラーメンという状況であり、 野菜の摂取が必要であると考え、また“京都の色”を出すために、メニューはたけのこの炊き込みご飯・京つけものの４種食べ比べ・ 具だくさん野菜のみそ汁・ほうじ茶…と徹底的にベジタブル志向にしたが、これが避難所の方たちには大いに喜んで頂けた。 &#160; 　尚、おつけものは京都西本願寺前に本社本店を構える（株）西利さまの全面バックアップ（無償提供）、 たけのこは京都向日市の三番屋さまが無償提供して下さった地産のものであった。 &#160; 　炊き出し終了後は、事前にピンポイントで連絡（必要な救援物資の聞き取り）をしておいた近隣の公立保育園３ヶ所とキリスト教 （バプテスト教会隣接）の幼稚園に物資を提供した。 &#160; 　粉塵が舞う町で、子どもたちのマスクの必要性を訴えられていたし、これからの時節として夏物の子ども用衣料（Ｔシャツ・パジャマ） やおむつ類・蚊取り線香を提供した。また、保育園には、京都市内の本願寺派保育園の園児が作ってくれた千羽鶴もお渡しした。 &#160; 　帰路に向かう前、暮れなずむ気仙沼の被災地を走らせ、「これは震災直後の風景じゃ無いんだ。２ヶ月半経過した風景なんだ」と、 商店が立ち並んでいるにもかかわらず現在でも尚信号が点灯せず人の姿が全く見えない現状を見るにつけ、 その災害の酷さを実感しつつ仙台に戻った。 &#160; 　【活動３日目】は、メンバーの１名だけが石巻市の本願寺派寺院（称法寺）に於いて瓦礫の撤去等の作業。 &#160; 　残りの８名のメンバーは、女川町の鷲神公園仮土葬場並びに、同じ女川町の総合運動公園内ご遺体安置所に於いて、 ご本尊を安置して読経を行なった。 &#160; 　仮土葬場では、その木碑のすべてに【不詳】が記されていた。 &#160; 　ご遺体安置所では、管理責任者の方や管轄の警察官の方たちのご理解があっての読経であった事を加筆しておきたい。 　活動を通じて思った事は、ボランティア活動の基本は「行って良かった」「活動が出来て良かった」 との思いはボランティアを行なう側の思いであり、自己満足であると云う事に他ならない。やはり、被災した方々の笑顔や言葉によって 「来てくれてありがとう」の思いがメンバーに届いてこそ成り立つものである。 　まるで街並みが空爆を受けたかのすさまじい光景は、被災していない地域からだんだんと変わって行くのでは無く、 あるところから突然に変貌する事も実感した。 &#160; 　１００ｍ前までは信号も街灯も、そして家の明かりも灯り生活感をかんじていたが、 ほんの少し車を移動しただけで突然にゴーストタウンのように町や道路が静まり返っていた。 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<center><img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/11.jpg" alt="" title="東日本大震災・気仙沼・石巻" width="460" height="345" class="alignnone size-full wp-image-86" /></center>
<p><strong>現地支援活動報告（報告者：事務局　北條悟）</strong></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　浄土真宗本願寺派京都教区では、現地支援の準備を整え、５月２３日（月）～２７日（金）の５日間の日程（トラックでの陸路往復の為、 現地での活動は３日間）で教区の寺族青年の有志が中心となって９名のメンバーで現地への災害救援のボランティアを行なった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　教区内各団体・個人からの現地活動支援金も予算を軽くオーバーし、次回へのプール金となりうる程にまで集まり、 教区寺族婦人会連盟からの呼び掛けにより、２トンロングのトラックに物資を満載するほどの救援物資を積み込んで京都を出発した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　尚、メンバー中２名は、日本エンディングサポート協会に登録している　淨光寺住職の北條と保福寺住職の中原である。</p>
<p>&nbsp;</p>

<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/2.jpg" alt="" title="家屋の泥かき・家財道具の搬出" width="300" height="225" class="aligleft size-full wp-image-87" />

<p>【活動初日】は、二隊に別れて…。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・東松島市・石巻市に於いて、トラックにて積載してきた救援物資を必要に応じて提供する作業 　（物資は、米・野菜・バナナ・生活用品・土のう袋等）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　・事前登録しておいた東松島市災害ボランティアセンター指示により、津波で一階部分を流された家屋の泥かき・ 家財道具の搬出 　仙台に戻り、京都市内の小学校から託された、 児童１０００人によって制作された１羽１羽にメッセージの入った千羽鶴を仙台市内の小学校に届けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　【活動２日目】は、気仙沼市の本吉広域防災センター避難所（避難者約１００名）と近隣の松岩小学校避難所（避難者約４０名） に於いて炊き出しを行なった。 

<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/3.jpg" alt="" title="炊き出し" width="300" height="225" class="alignleft size-full wp-image-88" />

　特に、防災センターでは、この時点でも尚毎日の配食がおにぎりやカップラーメンという状況であり、 野菜の摂取が必要であると考え、また“京都の色”を出すために、メニューはたけのこの炊き込みご飯・京つけものの４種食べ比べ・ 具だくさん野菜のみそ汁・ほうじ茶…と徹底的にベジタブル志向にしたが、これが避難所の方たちには大いに喜んで頂けた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　尚、おつけものは京都西本願寺前に本社本店を構える（株）西利さまの全面バックアップ（無償提供）、 たけのこは京都向日市の三番屋さまが無償提供して下さった地産のものであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　炊き出し終了後は、事前にピンポイントで連絡（必要な救援物資の聞き取り）をしておいた近隣の公立保育園３ヶ所とキリスト教 （バプテスト教会隣接）の幼稚園に物資を提供した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　粉塵が舞う町で、子どもたちのマスクの必要性を訴えられていたし、これからの時節として夏物の子ども用衣料（Ｔシャツ・パジャマ） やおむつ類・蚊取り線香を提供した。また、保育園には、京都市内の本願寺派保育園の園児が作ってくれた千羽鶴もお渡しした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　帰路に向かう前、暮れなずむ気仙沼の被災地を走らせ、「これは震災直後の風景じゃ無いんだ。２ヶ月半経過した風景なんだ」と、 商店が立ち並んでいるにもかかわらず現在でも尚信号が点灯せず人の姿が全く見えない現状を見るにつけ、 その災害の酷さを実感しつつ仙台に戻った。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　【活動３日目】は、メンバーの１名だけが石巻市の本願寺派寺院（称法寺）に於いて瓦礫の撤去等の作業。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　残りの８名のメンバーは、女川町の鷲神公園仮土葬場並びに、同じ女川町の総合運動公園内ご遺体安置所に於いて、 ご本尊を安置して読経を行なった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　仮土葬場では、その木碑のすべてに【不詳】が記されていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ご遺体安置所では、管理責任者の方や管轄の警察官の方たちのご理解があっての読経であった事を加筆しておきたい。<br />

<img src="http://jes-s.jp/wp-content/uploads/2012/09/4.jpg" alt="" title="木碑" width="227" height="170" class="alignnone size-full wp-image-89" />

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　活動を通じて思った事は、ボランティア活動の基本は「行って良かった」「活動が出来て良かった」 との思いはボランティアを行なう側の思いであり、自己満足であると云う事に他ならない。やはり、被災した方々の笑顔や言葉によって 「来てくれてありがとう」の思いがメンバーに届いてこそ成り立つものである。</p>
<p>　まるで街並みが空爆を受けたかのすさまじい光景は、被災していない地域からだんだんと変わって行くのでは無く、 あるところから突然に変貌する事も実感した。</p>
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<p>　１００ｍ前までは信号も街灯も、そして家の明かりも灯り生活感をかんじていたが、 ほんの少し車を移動しただけで突然にゴーストタウンのように町や道路が静まり返っていた。</p>
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<p>　この光景が震災直後では無く、二ヶ月半を経過した光景である事が、その被害の重大性を物語っていると実感した。</p>
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<p>　神戸の震災の時は、この時期（震災発生から二ヶ月後）には行方不明者が一桁であったと聞いているが、 この度の震災ではまだ数千人の行方不明者である。</p>
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<p>　私たちは京都に戻り、いつもの生活に戻り、何の不自由もない生活をしているが、原発被害の福島の皆さまも含めて、 被災地ではトンネルの出口が全く見えない生活に苦慮されている。</p>
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<p>　私たちは、健常者の方たちとしか交流しなかったが、介護を要する方をお持ちのご家族や、重い疾患・ 障がいをお持ちの方たちはさらに困窮されているのであろうと思う。</p>
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<p>　すべての方たちが元の生活に戻れる日が来るのは何年も必要であるのだと思うが、その日が来るのを心から念願するところである。</p>
<p>　炊き出しは本当に大変な作業ではあったが、被災した皆さんとの距離が本当に近く、苦しいお気持ちも自立に向かう気持ちも、 肌で感じる事が出来たのはほんの少しの私たちへのご褒美なのかな…と思えた。</p>
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