*一周忌法要並びに、命が恵まれたことに対しての感謝の気持ちの法要を勤修し、多くの方が参列された。
第5回支援活動の報告
今回の第5次(東北)支援活動は、震災発災から丸1年となる3月11日に合わせて前日の10日に現地入りをし、翌11日に「東日本大震災犠牲者総追悼法要」を行なう計画を立てました。
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東日本大震災から1年が経過しました。京都ネット第五次現地支援活動は、前回に続いて気仙沼の切通住宅に向かいました。今回は手作りのお食事を皆さんから頂戴し、こちらから皆さんへの「傾聴:けいちょう」というより、ボランティア活動という枠を超えて、親戚ぐるみのお付き合い……のような雰囲気になりました。 (参加メンバー談)
1日目 参加メンバーすべてが新幹線で現地に向かう。京都駅を午前8時52分に発ち、東京で東北新幹線に乗り継ぎ、一関駅には午後2時14分着。
一関で予約しておいたマイクロバスを借り、今回は一関にほど近い平泉町の中尊寺へ少しだけ観光。国宝の金色堂を拝観し、気仙沼に向かう。午後6時、予定通りJR気仙沼駅前の「かつらや旅館」に到着。その後、タクシーに分乗し切通仮設住宅に向かう。事前に仮設の皆さんから「今回は炊き出しとか何もしないでください、皆さんとゆっくりお喋りがしたい」と言って下さっていたので、今回はそのお言葉に甘え、支援物資や手土産といったものは何も持参せずに向かった。
切通仮設住宅は、現在20世帯54人の小規模な仮設住宅であり、皆の顔を知っているから、到着して1分も経たないうちに家族のような雰囲気になってしまった。何か、故郷に帰ってきたような不思議な感覚。
仮設のご婦人の皆さんが用意してくださった食事をいただき、再会できた喜びの中に楽しい時間を過ごし、午後9時過ぎに仮設住宅を後にして旅館に戻った。
旅館に到着後、「宗教者災害救援ネットワーク」事務局長の、大阪大学教授:稲場圭信氏らと合流し、翌日の法要の打合せと今後の活動展開についてを話し合った後就寝。
2日目 朝食後慌ただしく出発準備をし、午前8時に旅館を出発し現地へ。まずは、気仙沼市でも最も被害の大きい南気仙沼地区へ向かい、続いて鹿折地区へ。3月11日という事で、いたるところに手を合わす人たちやお供えの花、線香の香りが漂う。
「お魚いちば」で、”経済支援”のおみやげタイム。店内はボランティアの一行や観光客で混雑していた。午前10時、仮設住宅に到着すると、昼食の準備をされておられて、美味しそうな匂いが部屋いっぱいに漂っていた。正午までは、皆さんとお喋りをしたりして過ごす。子どもたちはスタッフの若手メンバーとたこ揚げなどをして遊んでいた。
お昼になり、ご婦人方が作って下さった昼食をいただき、1時前頃から法要に向けて荘厳壇の準備。午後1時半からご親族を亡くされた方への1周忌法要、そして命が恵まれたことに対しての感謝の気持ちの法要を勤修(記録写真があまり撮れなかった)、その後僧侶スタッフによるご法話を行なった。法話終了後は参加者全員が外に出て、地震発生時刻の午後2時46分、街中に発災時刻を知らせる有線放送がスピーカーから流れる中、海の方角に向かって全員で黙とう。またこの日、気仙沼市内では、自治体が主催する追悼行事が気仙沼市総合体育館で、また天台宗の寺院では、比叡山延暦寺の座主が導師を勤める追悼法要が行われたが、仮設の皆さんは、誰一人そちらの法要には参拝されず、私たちが行った法要にお参りされた事が本当に嬉しかった。その後、また皆さんとのお喋り(傾聴なんて固苦しいものではなく)をしていると、あっという間に気仙沼を出発する時刻が近づいて来てしまった。午後5時過ぎ皆で記念撮影をして、お見送りを受けながら、切通仮設住宅を後にした。一関から東京までは新幹線。その先、当日中に京都まで帰れる新幹線はないので、東京を午後11時に出発するJR夜行バスにて、翌朝7時に帰郷した。
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今回の活動は、参加したメンバーの一人から、ようやく発災当時の具体的な話をしていただけるようになったということを聞きました。持ち出せた物もほとんどない中、ある方は大切に持ち出したアルバムを、また発災当時燃え上がる気仙沼の街を写した写真などを見せていただきました。
次回の私たちの活動は、6月3日~10日の日程で、切通仮設住宅を拠点とした傾聴活動、そしてできればいまだ自治会活動が行われていない(どこからも支援の手がさしのべられていない)仮設住宅を紹介していただき、カフェ活動(お茶・菓子の接待をし、住民相互の親睦をはかり、自治会活動発足のお手伝いをおこなう)と按摩マッサージ指圧師国家資格所持者メンバーによる「マッサージの施術」を行う予定です。また、お参りの都合にもよりますが、7月末にはようやく福島県にも活動範囲を広げていく話も出てまいりました。「震災支援を続ける会」というボランティア団体の呼びかけにより、「サマーキャンプin裏磐梯」というイベントにおいて、原発の警戒区域から避難している福島県の小学生を対象とした活動のお手伝いをさせていただく予定です。
*発災から1年が経過したが、いまだにこのような光景があちらこちらで見られる。
ご主人を亡くされたのだろうか、小さいお子さんとお母さんご両親の4名が、流された建物の前で静かに手を合わせておられる。
*みんなの顔が集まると自然と笑顔が生まれる。少しずつだが前向きに動いていっていることが実感できる。昔からよく知っている仲間のような不思議な感じ。