【2012年1月】浄土真宗本願寺派京都教区寺族青年有志現地支援ネットワーク

2012.2.24|サポートメンバーの活動ご紹介

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*枯れてしまった奇跡の一本松。再び葉を茂らせることはないが、その子孫が大切に育てられているという。将来きっと東北復興のシンボルとなることであろう。

第4回支援活動の報告

今回の第4次(東北)支援活動は、今までの週末を避けた日程とは違い、現地に休日(1月7日・8日)に訪れる計画にしました。それは、お仕事に就いておられる方や、子供たちとの交流も含め、前回お会いできなかった仮設住宅にお住まいの皆さんの顔を拝見したかったからです。現地での2日間の活動はその予想通りに若い世代の方や多くの子供たちとも会うことができました。
前回活動した気仙沼市の「切通仮設住宅」へ再度伺いました。というのも、前回の活動時において、住民の方々から「是非ともまた来てほしい」との強い要望があったことや、またメンバーの中にはメールで連絡を取り合い、絆を深めつつあることがご縁となり、お正月らしい行事を皆でしようということになりました。餅つきをし、そのつきたてのお餅で京都の白味噌雑煮の接待や、きな粉もち小餅を皆と一緒に作り食べること、湯豆腐の接待と、そして前回も好評だったマッサージの施術、そしてカラオケ大会などを行ないました。

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1日目~2日目  京都教区教務所に集合後、活動備品をトラックに積込み、午前10時に出発。往路の陸路隊は、2tトラックと7人乗りのミニバンに計7名が分乗し、雪の心配の少ない東京経由での東北入りとなった。途中、横浜付近で事故渋滞もあったが、移動途中の宿所(栃木県の那須塩原:参加メンバーの実家)で一泊し、翌日早朝に宿所のご両親が仮設住宅の皆さん宛にとご用意していただいた栃木県名産のイチゴ(とちおとめ)を積み込み出発。この日からは、計12名(車3台)で東北道を一路北へ。その後岩手県のJR一ノ関駅にて新幹線参加隊8名と合流し、今回活動するメンバー20名全員(最年少は1才半から最高齢は70才代と、老若男女混成隊)が集結した。その後、午後3時にトラックを含め計4台で気仙沼へ向かう。途中、通信カラオケ機器の受け渡しとセッティングのため、2名は活動場所の仮設住宅へ。残り18名は、南気仙沼市街の被災地を視察した後、宿泊先の気仙沼プラザホテルに到着。当日の夕食は、ホテルにほど近い場所に、昨年末にオープンしたばかりの”復興屋台村 気仙沼横丁”にある、【男子厨房海の家】(民宿や飲食店を津波で流された男性3名が共同で経営されているお店)で気仙沼の味覚を堪能した。その後ホテルに帰り、翌日の活動の再確認ミーティング後就寝となった。往路の道中も、降雪はあったものの交通規制やアイスバーンに悩まされることがなかった事は、安全に移動する上で大変助かった。

3日目  活動初日。仮設住宅へ向かう前に、陸前高田市の「奇跡の一本松」に向かう。道中小雪が舞い、ところどころ路面が凍結していたが、午前7時頃には現地に到着。五山の送り火の「京都市」の行為について、陸前高田の方々に向けて一本松の前で謝罪の黙とうを行なった。午前8時過ぎには一旦ホテルへ戻り、朝食の後、仮設住宅に向けて出発。気温も0℃近い寒空の下、小雪が舞う中で厨房用のテントを張り、それに並行して餅つきの準備。ほどなく、京都の豆腐店「京とうふ藤野」から送られてきた絹ごし豆腐が到着。この日に湯豆腐も作る予定であったが、私たちのチームが作るお餅や白味噌雑煮に加えて、仮設住宅の皆さんが私たちのために作って下さった気仙沼の具沢山お雑煮とでお腹がいっぱいになり、湯豆腐作りは明日に持ち越しとなった。当日は土曜日であったため、若い世代のお父さんお母さん、それに子供たちも来て下さり、食事後の談話室は、陽が暮れ始めるまでボディケアとカラオケ大会で大盛り上がり。屋外では、仮設住宅の子どもたちも参加しての餅つきが行なわれていた。
午後5時半には本日の活動を終え、仮設住宅を後にしてホテルへ戻り、夕食をとる。その後午後8時頃からは、この近くに仮設店舗でスナックを再開された方がいるという話を聞きつけ、そのお店へお邪魔することとなった。ここでも楽しい時間を他のお客さんたちと共に過ごし、午後10時には全員ホテルへ戻り就寝。

4日目  朝食後、津波で店を流されてしまった鮮魚店や食料品店の方々が共同で出店された昨年12月10日オープンの「さかなの駅」(気仙沼市水産地域振興組合)にておみやげタイムをとり、午前10時に仮設住宅に到着。今日私たちは、昨日作れなかった湯豆腐だけを用意することとなった。というのも、仮設住宅の皆さんが昨日のお礼にと、豪華なお刺身の盛り合わせと各家庭手作りのお惣菜や漬け物を用意し振舞って下さった。もう食べきれない程の昼食(豪華お食事会)が終わり、昨日に引き続きまたまたカラオケ大会。今日はメンバーも参加し大いに歌った。談話室に来られない方の為に個々のお宅にボディケアマッサージの出張サービスも行なった。
午後2時頃から撤収作業を開始。撤収作業後には作業を手伝っていただいた皆さんと一緒に記念撮影。その後、次回も必ずここへくることを仮設住宅の皆さんと約束し、切通仮設住宅を離れる。 新幹線参加隊は一ノ関駅で別行動になるので、一ノ関駅に到着後、今回活動の解散式を行ない、新幹線参加隊は新幹線にて一足先に京都へ。また、陸路隊は約1000km先の京都を目指す。往路と同じく、那須塩原の宿所には、午後9時に到着し、一泊。 5日目  この日は首都圏での渋滞を考え、午前7時に宿所を出発。残す距離はおよそ700km。東北道の渋滞も都内(首都高速)の渋滞もほとんどなくスムーズに走っていたが、東名道の川崎で渋滞に巻き込まれるも、あとは無事に帰るだけなので気楽に運転ができた。そして京都教区教務所には予定より少し早く到着し、荷物の搬出後陸路隊の解散式を行い、午後6時に今回の活動は終了した。

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今回の活動は、仮設住宅の皆さんのところへお正月の行事をしに訪問したような感じでした。皆さんからは、仮設に移ってからは楽しい行事がほとんどなかったのに、お正月に餅つきやカラオケで楽しむことができるなんて思ってもみなかったと、本当に喜んでいただけました。みんなと大きい声を出して歌うことが私たちも含めてこれだけ楽しいことであり、住民相互の結束力を今まで以上に深めることができるのかを再認識することもできました。
次回の私たちの活動は、震災からちょうど1年目にあたる3月10日~12日の日程で、同じく切通仮設住宅において震災犠牲者の総追悼法要を浄土真宗の儀礼で行なうことを計画しています。顔なじみの方も多くなってきて、少しずつお悩みなどをお話しいただいていることから、ようやく住職らしいことができるのではないかと思っています。
東日本大震災にかかる今後の活動についても、切通仮設住宅が閉鎖されるまでは継続して支援していくことを話し合っています。この住宅が閉鎖されるのが3年後なのか5年後になるのかはわかりませんが、それまではここを拠点として気仙沼の支援活動を行なっていこうと思っています。

*餅をつく気配に気がついた子供たちは一斉に集まってきて出来たての餅をほおばる。子供たちは餅つきより食べるほうが好きみたい。

*仮設住宅の歌姫たち。この子たちはなんと童謡からAKB48までみごとに歌いこなす。子供たちのかわいい歌声はみんなの心を癒す特効薬だと再確認できた。

*食料品の移動販売車。どんなにカラオケで盛り上がっていても、この車が来ると一時中断。仮設住宅に住んでいる人たちにとっては本当に有難い存在。

*「魚の駅」の壁に貼られた子供達の将来の夢。人を助ける仕事や、人の役に立てる立派な大人になりたいとの言葉が多く読んでとれる。

*食べきれないほどの料理が並ぶ昼食会。魚ももちろん美味しいが、それぞれのご家庭から持ってきていただいた惣菜やお漬物のおいしいこと!

*今回参加のスタッフと、撤収作業をお手伝いいただいた仮設住宅の皆さんとで記念撮影。